アメ研HP/ML管理室便り

 

 

 

アメ研HP/ML管理棟と屋根の上のポチたち(近影・・でもないか・・・)。

いらっしゃいませ。管理人長屋へようこそ。ここは管理人1号室です。

え?管理人2号、3号はいるのかって?おりまっせ。いま博論やらなんやらでいそがしうおます。

ままっ、こちらへ、どうぞどうぞ、おあがりください。

あ。そこはポチたちがねておりやす。え?踏んじゃった?

すかさず、「猫ふんじゃった」を歌ってください。

ポチの怒りがおさまります(ウソ♪)

えーと、コーヒー豆は、と。

・・・・。ほい、入れたてをどうぞ。

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1,2,月はなんと忙しい・・・ |  2003年版アメ研HP |  『ローハイド』の中の婦人参政権運動

|  2002年・岡田先生・有賀ゼミ・ボンゴ | Pochi Who? | これまでのアメ研のHP | 2002年版アメ研HP|

1,2月はなんと忙しい・・・ ●年が明けてから、なんだかえらく多忙。未整理の仕事部屋はついに倉庫状態に。好きな映画も久しく見てないような。大学も1月は論文提出、2月は学部や大学院の入試はあるし、卒論発表・修論審査・合宿と行事がつまっています。この時期は先生方も学生のみなさんもタフな時期。体調をくずさないように、お気をつけ下さい。(2003.2.11)

2003年版アメ研HP ●2003年版では、2002年版に一部掲載のアメ研卒業生の論文アーカイブをさらに整理して、現存する全論文リストを作成する予定でおります。また、「公開講座」の全記録テープをお預かりして久しいのですが、ビデオキャプチャを入手次第、こちらの整備にもかかる予定でおります。

『ローハイド』の中の婦人参政権運動 ●現在CATVスーパーチャンネルで毎朝放映中の『ローハイド』という西部劇をご存知 でしょうか?●昭和30年代半ば、日本のテレビがほとんどモノクロだった頃、輸入物アメリカTV番組としては当時めずらしい1時間枠(CMをとると50分足らず)で、このあとつぎつぎに1時間もののアメリカ製TV番組がいくつも入ってきて放映され、人気を博した、と記憶してい ます。(8シーズン、216本制作、1959年1月9日〜1965年12月7日放映)●2002年12月17日(火)放映の第144話を途中から見た。婦人参政権運動を行う女性がテーマで、年の離れた男性との結婚生活に不幸を感じる女性が 町の女性たちと連帯して禁酒運動を展開、「女性のもつ美徳」をたてに、町の酒場に 乗り込み、酒樽を破壊しようとする。●「男たちの世界」を描く西部劇にしてはなにやらめずらしいテーマ。とはいえ、日本の144話がアメリカの144話と同じとすると、現地放映は第6シーズン1963年9月26日。●1963年は、暴力に満ちた激しい公民権運動のさなか(6月11日、ミシシッピ州でNAACP代表暗殺事件。8月28日は有名な25万人ワシントン行進。9月15日はアラバマ 州バーミンガムの教会爆破、そして11月22日、テキサス州ダラスでJFK暗殺)。●いずれにせよ、放映終了までの年月、『ローハイド』の脚本家の頭のどこかには「社会運動」や「権利」が常駐していたに違いありません。●さて、アメリカ女性の禁酒運動は、1873年がはじまり。その年のオハイオ州ヒルズボロ在住の女性たちの「聖戦運動」("Woman's Crusade")が発端になり、翌1874年11月、禁酒同盟が結成され、 女性のため女性自身が活動する、アメリカ初の社会改革・禁酒団体が生まれました。●ですから144話は、1873年以降1890年(フロンティアの消滅宣言)以前の話と思われます。●『ローハイド』ファンのサイトを逍遙しますと、この物語の時代設定が不明瞭 なのか、ファンたちの掲示板には各エピソードを元に、時代設定や地図上の位置などを特定 しようとする書き込み満載。ちなみに、あるファンの推測では、『ローハイド』のエピソードのひとつは、1870年頃の話だそうです 。●でも、日本で放映しているスーパーチャンネルのHPでは、1870年代の話、とちゃんとことわっています。●『ローハイド』のファンサイトが盛況な理由は、なにより、出演者たちの魅力による所が大きいのではないか、と思います。●この映画には、しばしば当時の(あるいは後の)「大物」がゲスト出演して(C.ブロンソン、J.コバーン、レナード・ニモイ、ジョージ・ケネディなどなど)おりますが、なんといってもレギュラー出演者たちのユニークなバックグラウンドと 個性的魅力によるところが大きいでしょう。●主役の一人を演じた俳優エリック・フレミングのユニークな経歴と悲劇的な死、また、もう一人の主役俳優クリント・イーストウッドのその後の輝かしい活躍。●ピートを演じたシェブ・ウーリーはアメリカでは有名なカントリーアンドウェスタン音楽のシンガーソングライターで、彼の歌のひとつは、日本のカラオケ屋の歌詞本にも必ず出てきます。さて、なんという曲でしょう?

2002年・岡田先生・有賀ゼミ・ボンゴ ●早いもので、岡田先生が来年3月に定年退官されます。先生が埼玉大学に赴任された頃は、キャンパスがまだ北浦和駅前にありました。大学が現在の下大久保に越してからは、その跡地は公園になり、近代美術館などが出来ました。●現在、埼玉大学は群馬大学との統合話が進んでおり、大学をめぐる状況は先が見えません。大学再編の動きは、かなり以前からで、7年ほど前に教養部がなくなった際、教養部の先生方は各学部に分散、所属されました。岡田先生もその頃アメ研においでになりました。●岡田先生のゼミでは、NYのイラスト新聞やリチャード・ライトを読んだのが、今は懐かしく思えます。●先生の最終ご講義にはぜひ参加し、なつかしいニュースをみなさまにお送りするつもりでおります。●有賀先生のゼミは12月6日で2002年をしめくくりました。来年の予定はゼミページをご参照下さい。●話は変わりますが、管理人は最近ボンゴを叩いております。●12月8日は越谷のサンシティにて、「越谷市民合唱団よしきり」の50周年記念演奏会があり、小生が所属しているマンドリンクラブも賛助出演することになり、そんなわけで、「碧空」演奏には、大舞台からボンゴがボンゴボンゴと鳴り響く予定です。●別にボンゴばかり叩いてるわけではなく、小生のバッグの中には、マラカス、トライアングル、タンバリン、といった小物も入っております。新しい練習曲が加わり、どの打楽器を入れようか、と思案するたびに、楽器が増えていくのです。●うちのコンマスは、「少女が笑っているような音を!」とか、タンバリンで「そこからはどす暗く!」などと、スフィインクスが旅人にするような難題をふっかけるので、小生、音追い人に変身。最近何を見ても、叩いて音を聞いてみる癖がついてしまいました。●インドネシアのバリ島の奥地で、情報伝達に使われているという、クントゥンガンという打楽器を叩いてみるのが夢です。

2002年版アメ研HP ●このHPは2002年4月5日にアップしました。カウンターはゼロからです。●それに先立つ1年半前の2000年11月2日に院卒業生たちを中心に、アメ研の教官・院生・卒業生のメーリングリスト(ML)が開設。このMLが情報交流の場となり、その後、様々な催事や書籍、近況報告などの情報交換が活発になりました。●もともとアメ研が非常にオープンな雰囲気の空間であることも手伝ったのでしょう。今年(2002年)は卒業生・院生の勉強会(「ポチの会9.11」)も行われました。●こうした流れになったのは、アメ研の先生方から受けた刺激も大きかったかも知れません。●昨年(2001年)の9.11テロ事件以後のアメリカをめぐる議論に貢献しようと、市民向けの公開講座(「アメリカを探る」)が、アメ研教官コミュニティの先生方のボランティァにより、新設の県立男女共同参画推進センターである「WithYouさいたま」と共催で実現しました(HP「公開講座」参照)。同時に、べス・ベイリー先生が来日、学内で特別講義をされる中で、公開講座初日の講義をされました(HP「べス・ベイリー先生来日」参照)。●HPはこうした催事情報を得た時点で、主に学外のアメ研仲間や卒業生に情報を届ける目的で開設されたものです。●現在は、上記学生版HPを補う卒業生版HPとして、アメ研のホットな情報を逐次掲載しております。同時に、アメ研仲間や卒業生のみなさんがアメ研の今を知る 上での、プライマリーアクセスのひとつになることを期待しています。

これまでのアメ研のHP ●埼玉大教養学部の公式HPにはコース紹介があり、全体的なアメ研情報はそこでわかります。 一方、学生版のHPの魅力は、なんといっても、公式サイトでは得られないプラスアルファの情報があるからです。●教養学部学内サーバーにファイルがある学生版HP、1997年版は当時学部生でおられた本田さんが作って下さったもので、非常によく出来ているため、時を経ても情報価値は高く、現在も検索エンジンには上位ヒットします。カウンターリンクが切れているのが惜しい事この上ありません。●2001年版は堀 さんが作られたもので、Web Siteに必要な道具満載の機能的作りで、掲示板では懐かしい名前にも出会う事ができる、貴重なHPです。

Pochi Who?  昔、今ほど建物が多くなかった頃の、緑あふれる埼玉大学教養学部周辺には、野良動物がわんさとおりました。当時彼らに遊んでもらった事のある学生たちの中には、彼らをポチと呼ぶ人たちがおりました。中でもとりわけ猫たちはわんさかわんさ(レナウンのCMソングみたいですね。古い…)。当時の学部棟管理人さんが一手に養っておられたためで、管理人室の窓の下の植え込みの木々には、日中、昼寝の猫たちがたわわに実っておりました。浦和市下大久保の森や野山(?)を駆け巡る猫さんたち。ふつうですと、野良犬やカラスたちと餌をめぐる熾烈な争いを展開するところですが、賢い(=ぐうたら)な彼らはもっぱら第一第二生協食堂近辺で、気の弱そうな、いや、心優しげな学生さんらのハートをゲットしては、結構いい食生活をしていました。中には揚げ物の食べ過ぎで、女子学生に出会うごとに、「や〜だ〜」「うっそぉ〜」と言われている者もおりました・・・。とまあ、そんな由来がございます。(画像はイメージ映像です)

 

 

 

 

(文責:管理人#1)