

国立大学の置かれた環境が大きく変わり、大学間の競争が厳しくなっていく中で、教養学部も学部、大学院の双方において数々の改革の試みを模索しています。わが学部が改革努力によって期するところの一つは、教養学部および埼玉大学が教育・研究の両面において競争力を増すことにあります。
わが学部の改革努力はこれまで、学部・研究科の組織形態の検討に集中して参りました。しかしいかなる組織であるにせよ、個々の授業の質が向上しなければ教育上の定評を得ることはできません。今後の必然的な展開として、教育方法、教育システムの地道な改善が、ますます重要な課題となってくるものと思われます。
一方、少子化現象に直面して目先にとらわれ安易な人気取りの方策をとる学部・大学は、遠からずして一層のレベルダウンを招き、社会的存在意義を失う運命をたどると考えます。思えば、その研究実績において定評を勝ち得ている欧米の大学は、ほぼ例外なく教育システムの面でも高い評価を得ています。この意味で高度の研究と良質の教育は互いに相反するものではなく、相互補完の関係にあるのかもしれません。
さて、教育面での改革は、われわれの自発的な努力とは別に、学生の年間登録授業数の上限設定、成績評価の厳密化、外部評価などとして、外的に課されることになるでしょう。こうした問題への対応は公式の場、すなわち教授会や各種委員会において検討が進むものと思います。しかし、個々の授業をどのように行うか、いくつかの授業群をどのように組織化するか、といった問題は、専ら個々の教官の判断に任されています。また、こうした問題は、ことがらの性格上、公式の場での議論にはなじまない面もあるかもしれません。その結果、これまでこうした教育方法に関する意見交換、情報交換の場は、公式にも非公式にも設けられてきませんでした。
私たちがこの「教育方法を考える会」によって目指すのは、教官個人が授業を行う上で直面する諸問題や有効な教育方法を参加有志によって検討・模索し、こうした活動を通じて教養学部に質の高い教育方法を文化として定着させることです。そうした努力によってのみ、学部全体の競争力を高め、学習意欲と能力を備えた多くの学生を惹きつけることができると私たちは考えます。
今日、教育業務に真摯な同僚の中には自分の授業の運営方法に疑問を抱く方が多いと想像いたします。授業の方法を試行錯誤で模索する若い同僚、経験を積んでなお学生の基礎知識や質の変化に戸惑う同僚もおられるでしょう。異なった分野、異なった背景を持つ同僚諸氏が自らの経験を交換しつつ、教育方法に研鑽を積み、あるいは相互から学ぶような場として、この協議会が機能することを私たちは願うものであります。
