「マイノリティ問題研究会」(2002.3.19)(ただし改題)

 

カテゴリー化しているのはどっちだ

――『インタビューの社会学』と『部落の21家族』をめぐって――

 

【福岡1】は,福岡から桜井厚さんへのメール(2002.1.21

【桜井2】は,桜井さんから福岡へのメール(2002.1.23

【福岡3】は,福岡から桜井さんへのメール(2002.1.23

【桜井4】は,桜井さんから福岡へのメール(2002.1.23

【黒坂5】は,黒坂愛衣さんから福岡へのメール(2002.2.12

【黒坂6】は,【福岡1】から【桜井4】までのコピーを読んでの,黒坂さんから福岡へのメール(2002.2.12

【福岡7】は,【黒坂5】への福岡からの返信(2002.2.12

【福岡8】は,福岡から黒坂さんへのメールの続き(2002.2.13

【福岡9】は,福岡から解放出版社編集部小橋一司氏へ(2002.2.19

【小橋10】は,解放出版社小橋氏から福岡へ(2002.2.28

【福岡11】は,福岡から桜井さんへのメール(2002.3.13

     以上を,2002319日の「マイノリティ問題研究会」で配布.

【福岡12】は,福岡から桜井さんへ「誤植について」(2002.3.13

【福岡13】は,福岡から桜井さんへ「誤植(続)」(2002.3.14

【福岡14】は,福岡から桜井さんへ「誤植(最後)(2002.3.14

【桜井15】は,桜井さんから福岡への返信(2002.3.14

【黒坂16】は,黒坂さんから福岡へ(2002.3.18

【福岡17】は,福岡から桜井さんへ「誤植(補遺)」(2002.3.18

【桜井18】は,桜井さんから福岡へのメール(2002.3.20

【福岡19】は,福岡から桜井さんへの返信(2002.3.20

 

【福岡1】2002.1.21

桜井厚さま

 福岡安則です.

 お贈りいただいた『インタビューの社会学――ライフストーリーの聞き方』,読みおえました.読むにあたいする,すごい本でした.おもしろかったです.

 どこまできちんと理解しえたかはともかく,理解しえたかぎりで――とはいうものの,桜井さんはひじょうにわかりやすい書き方をしているので,読みまちがえということはほとんどないと思っていますが――,桜井さんがインタビュー調査にのぞむにあたってみずから拠って立つところとしている〈対話的構築主義〉のアプローチについて,いわば手を変え品を変えながら述べられているところ,まったく納得がいきました.

 ぼくなどが,“聞き取りで語られたことがらが真実かどうかはわからないが,そこでかくかくしかじかと語られたということは事実だ”というふうに,きわめてプラグマティックに対応してきた問題に,桜井さんは,ずっとこだわりつづけ,というか,思索を深めつづけられて,いま,一定の答えを自分のものにされたのだな,と敬服しています.

 

【桜井2】2002.1.23

福岡安則さま

 早速読んでくださったとうかがって,少々驚いています.ぼくなんぞは,なかなか頂いた本を読むのに時間がかかってしまうものですから.それに,なんか自分の内側を見られたような気恥ずかしさもあります.

 

【福岡1】

 ただ――というのかな,むしろ,そのうえで,というつもりですが――,2点,疑問というか,お考えをお聞きしたい点があります.

 桜井さんは,「インタビューの場」に深く深くもぐっていって,「いかなるインタビューの場においても,対象者〔は〕調査者をカテゴリー化し,それに対応する自己カテゴリー化を通してインタビューの相互行為を成し遂げている」(92頁)こと,あるいは,「私たち〔インタビュアー〕は意識するしないにかかわらず,またそれが一貫しているかどうかにかかわらず,インタビューに際して一定の構えをもっていること〔が〕常態である」(171頁)ということを指摘しています.これは,まったくそのとおりだと思います.そして,そのような関係性のなかで,語りが共同構築されていく.

 被差別部落をたずねての聞き取りの場面で,「貧困,劣悪,悲惨」のモデル・ストーリーが,あるいはまた,「誇り,たくましさ,アイデンティティ」のモデル・ストーリーが,語られる/語らせるということが生ずるのも,そういう文脈においてである,と理解していいですよね.

 ここで1つめの質問です.桜井さんは,最後のところで,インタビュー過程の外側からあたえられるモデル・ストーリー(それが,支配的文化のマスター・ナラティブに対抗的な,自分のコミュニティで流通するモデル・ストーリーであっても)よりも,インタビュー過程のただ中から生成してくる個人的経験の語りとしての「新しいストーリー」のほうに,あきらかに価値をおいているように読めます.そして,「新しいストーリー」と「エンパワーメント」とをむすびつけているように,読めます.

 これは,「大事なのは,私たち調査者の遂行すべき役割ではなくて,私たちの立場性 positionality である」(280頁)という宣言と,矛盾しませんか.つまり,少々乱暴なまとめ方かもしれませんが,インタビュアーの「遂行すべき役割」は,語り手に「新しいストーリー」を語らせることであり,語り手が「エンパワー」されるようなインタビューを達成することである,というふうに,桜井さんの著書の結論が読まれてしまうおそれはないのでしょうか.

 こういう読み方がまったくの的外れでないとしたら,せっかく,「インタビューという場」に深く深くもぐっていったのに,桜井さんにしては(プラグマティックなぼくならわかるのですが),なにか,水面への浮上を急ぎすぎたのではないか,という気がします.

 

【桜井2】

 さて,ご質問の件,たしかに誤解をうけそうですね.

 個人的には,語りはモデルストーリーに力を得て語られると同時に,それを解体していく契機があることを指摘したつもりです.インタビューは,モデルストーリーの生成を見ることにもなることもあり,解体する個人的契機を持ってもいるということでもあります.「エンパワー」をあまりに強調すると誤解されるかもしれません.ただ,エンパワーについては,それを調査者の役割にしてはならないとは断ったはずなのですが.モデルストーリーと経験の語りの相互性をもうすこし明確にしておくべきだったかもしれません.

 

【福岡3】2002.1.23

 ご返事,多謝.

 「語りはモデルストーリーに力を得て語られると同時に,それを解体していく契機があることを指摘したつもりです.インタビューは,モデルストーリーの生成を見ることにもなることもあり,解体する個人的契機を持ってもいるということでもあります」.こういうふうに言われると,すごく納得します.

 ぼくの誤読だったかもしれませんが,桜井さんの意図とはべつに,桜井さんの著書を根拠にして,“モデルストーリーを語らせているから,この聞き取りはダメである”といった言い方が出てきはしないかな,というふうに危惧しました.

 エンパワーについては,桜井さんが,「それを調査者の役割にしてはならない」というふうに考えているということは,ぼくとしてはよく承知しているつもりです.ぼく自身も,そしておそらく桜井さん自身も,聞き取りでの「語り」が,語り手にとってのエンパワーメントになることを,願ってはいるけれども,それを調査者の役割とは考えていない,という意味で.そのはずだと思っていましたので,対抗的なモデルストーリーも,語り手にとってのエンパワーメントとなりうることはいくらでもあるはずなので,モデルストーリーからあまりに価値剥奪するのは賛成しがたいというふうに,感じたわけです.

 

【福岡1】

 もうひとつの質問は,〈対話的構築主義アプローチ〉というのは,インタビューの過程,テープおこしの過程,作品を書き上げていく過程すべてをおおいつくすべきものと,桜井さんは,やはりお考えでしょうか.というか,〈対話的構築主義〉に立脚したばあいの,最終的な作品の書き方については,どうすべきだとお考えでしょうか,ということです.

 『語りのちから』を読ませていただいたときも,『屠場文化』を読ませていただいたときも,そんなに違和感は感じませんでしたので,ひょっとすると,ぼくが考えていることとそんなにちがいはないのかもしれませんが…….つまり,最終的な作品では,「いかにして語られたか」よりもむしろ,「なにが語られたか」を中心にしてまとめられていくのでかまわない,と.

 ただし――ここからが,今回まなばせてもらったことになりますが――,「語られたこと」が「いかにして語られたか」について,調査者が自覚的であることが,本文から伝わってくるような記述のしかたがされることが望ましい,と.もし,違っていたら,教えてください.

 

【桜井2】

 これは,福岡さんのおっしゃるとおりです.たとえば,いかにも客観的な記述ではない,インタビューの場が見える書き方,これは『屠場文化』では,うまくでているところとそうでないところがありますが,そうしたものを明示化する記述の仕方です.福岡さんのものは,多くが自分をよく見える位置に置いているとおもいますので,それほど違和感がないかもしれませんが,インタビューの場が見えない記述の仕方は,これまでもよくおこなわれてきました.語られたことを書いてはいけないのではなく,語られ方(ストーリー領域)をふまえた語りの内容こそが重要であるという意味です.これまでは,事実を重んじるあまり,ストーリー領域の語りは編集過程で無視されたり,削除されたりしてきたように思います.

 

【福岡3】

 はい,了解.でも,なかなか,桜井さんの言われることをうまくいいあらわしていくのは難しいですね.

 さきほど,マイノリティ問題研究会の案内のメールで,桜井さんの本の紹介をしておきました.何人かが読んだであろう時期に,今回のこのメールのやりとりを,マイノリティ問題研究会のメールで流してもかまいませんか?

 

【桜井4】2002.1.23

福岡安則さま

 マイノリティ研で流していただいたこと,とても感謝しています.それから,このやりとり,流していただいてもちろん結構です.

 

【黒坂5】2002.2.12

福岡先生

 『インタビューの社会学』,たぶん1回読んだだけでは理解が浅いので,もう1回読まなきゃいけないんですが,漠然とした疑問がひとつあります.

 語りは,語り手だけでなくインタビュアーもその構築の担い手であり,語り手の「自己」もインタビュアーの「自己」もけっして固定的ではないから,語りは一回限りのものであるというのは,とてもよくわかります.語り手が,インタビュアーとともに,その語りのなかでどのような「自己」を構築したか,ということに焦点があてられることになるのだ,と.

 だけど,そうしたときに,社会調査としてのインタビューの意義って,なんでしょうか? 実証主義的に,歴史の “Truth” を求めるわけではない.語り手がもっている “truth” に光をあてるというわけでもない.(それでは,語りのまえに主体があることになってしまう.)

 語りのなかに “truths” があるというとき,それを,会話分析とは違うスタンスで分析するには,どうすればいいのでしょうか.語り手の「経験」を実体視しないというときに,それをどういう視点で分析するのでしょうか.

 社会調査としてのインタビューの意義って,支配的言説に対抗するモデル・ストーリーがどう変遷しているか,とか,モデル・ストーリーに亀裂をいれる語りがここにあらわれている,とか,それを発見することだけじゃないですよね?

 

【黒坂6】2002.2.12

福岡先生

 メール,ありがとうございました.

 わたしの漠然とした疑問は,先生の,2つめの質問に近いものでした.

 「いかにして語られたか」を明示しながら,「なにが語られたか」を中心にしてまとめていく,ということは,すごく納得がいきました.やっぱり,語り手の「経験」に焦点をあてるということですね.

 実体化されない「経験」,そして毎回かたちをかえる語りは,ふわふわしてなんだか頼りないようにも思えますが,コンテキストや場のありようによって変化する「語り方」を明示することで,かえってその語りに確実性が与えられるような気がします.

 語りがふわふわした「フィクション」であることを引き受けたうえで,そこに確実性を与えようとしていて,すごいと思います.

 

【福岡7】2002.2.12

黒坂愛衣さま

 福岡安則です.書評の下書きを書くつもりもあって,以下書きとめます.

 いただいたメールへの返事になるかどうかはわかりませんが,いま読んでいる部落解放・人権研究所編『部落の21家族――ライフヒストリーからみる生活の変化と課題』(解放出版社,2001年)の,ぼくなりの読書体験を書きつづってみようと思います.

 前にも話しましたが,この本は,たぶん1990年代なかば以降に,大阪府下の8部落の,21家族,計57人を対象に実施された生活史の聞き取りをもとにまとめられています.そして,500ページをこす大著ですが,読んでいて,とにかく眠くなってしまって,その点ではどうしようもない本です.

 なぜ眠くなってしまうのかというと,読んだことがらがぼくのなかで明確な像をむすばないのです.いや,じつは,像をむすばないのではなく,像をむすばせないように,ぼくのなかであるこだわりが作用してしまうのです.

 『部落の21家族』は,半年前に贈ってもらって,読みかけのまま放置していた本ですが,書評の依頼を受けて,もういちど読み始めました.このかんに,桜井厚さんの『インタビューの社会学』を読んだこともあって,ぼくのなかで作用するこだわりが何であるかが,自覚できるようになりました.

 ようするに,方法の問題なのです.

 問題点は,とりあえず2つあります.

 第1は,ある被差別部落ではなくて,“被差別部落なるもの”の特徴を描きだそうとしてしまっていることです.

 この本は5人の著者による共著ですが,大阪府立大学の西田芳正という人が「序」と「あとがき」を書いていますので,このプロジェクトのリーダーであろうと思われます.その彼が,「今回の調査研究においては,家族・親族という集団に属する,また被差別部落というカテゴリーを押し付けられた人々の,いわば『集団としての生活史』を浮かび上がらせることに主眼をおいた」(6頁)と書いています.

 被差別部落に生きる人びとを対象とした聞き取り調査では,〈集団としての生活史〉を描きだそうとする試みは,ある意味で自然なものです.ぼくらがやった『被差別の文化・反差別の生きざま』にしても,桜井さんたちの『語りのちから』『人びとが語る暮らしの世界――野洲の部落史』『屠場文化』にしても,たんに個人生活史をおったものではありません.あるひとつの部落共同体を単位としてそこでの人びとの暮らしを描きだそうとしたものです.

 しかし,西田氏たちが描く「集団としての生活史」には,違和感があります.大阪府下の8つの被差別部落を“ひとまとめに”扱ってしまうとき,そこに描き出されるのは,〈具体性をもったある部落共同体という集団〉ではなくて,「抽象的カテゴリーとしての部落なるもの」となってしまうからです.そして,たとえば,「部落の生活様式」のひとつの特徴として「貧困・生活の不安定性」が記述されていくときに,四国の被差別部落出身者の子ども時代の体験をかたる語りが引用される.このとき,著者のアタマのなかには,大阪はおろか,日本国じゅうにあまねく「部落なるもの」が存在することになっている.“被差別部落というカテゴリーを押し付け”ているのは,ほかならぬ西田氏自身ではないのか,と言いたくなる.

 第2は,前述のことともからみますが,聞き取り場面で語られたことを“実体化”してしまっていることです.

 西田氏の論法は,こうこうこういうことが「数多く語られている」とか,なになにという「指摘は少なくない」というかたちで,語りで“語られたこと”を“事実”として取り扱うものだと言えましょう.「語りの中に見られる部落の生活条件から生活の特徴を考察していくことにしよう」(195頁)といった記述に,そのような方法的態度が透けてみえます.

 もっとも極端な例を示せば,「ムラの閉鎖性」を論じている「〈「ルーズさ」「いいかげんさ」〉」という一節では,こう述べられています.「ムラの人々の社会生活の感覚について,『常識のなさ』を指摘する声が多く聞かれた.頼み事をしたのにきちんと対応してくれない,頼み事をされ応諾したのにそれっきりだった,という経験をした女性は『ルーズ,いいかげん』と表現しており,次の女性も同じ言葉を使っている」(217頁).そして,語りの“きれはし”が引用され,「見知った者同士の間では『いいかげん』な言動が許されてきた,ということだろうか」(218頁)とコメントされていく.引用される語りは,自分にはかくかくしかじかの欠点があるということをみずから語っているものではない.すべて,部落内にこういう欠点をもった人たちがいるという,他者批判です.他者批判の言説を寄せ集めれば,その人たちの“特徴”が取り出せるのだろうか.

 なかなかうまく『部落の21家族』の叙述スタイルへの批判を表現できませんが,これまでぼくが述べてきたことを別の言葉で言い換えれば,聞き取りでの語りを資料としてなにごとかを表現するとき,大事なのは,テキスト(語りの中身)をコンテキスト(聞き取り場面の具体的状況であり,ある語りを引き出す問いのありようであり,あるいは,語り手が住まう部落共同体の暮らしぶりであり……)から切り離さないことであり,もうひとつは,あくまで語りを語りとしてとりあつかうことだと思います.

 

2002.4.8書き込み】

 たとえば,上述の「〈「ルーズさ」「いいかげんさ」〉」という一節には,つぎのような記述がある.

 

 こうした,内々の集団で「いいかげん」な言動が許される時,それが外に持ち出されると「ルールを無視する」という行動と評されることになるようだ.

〔発言の引用を1つ略〕

 (a140代男性)「あれは腹たつ.小学校の催しの時でも,車乗ってきたらあかんて言われて,車で行くのはこのムラのもんばっかり.人の迷惑考えず,決まりごと守らんから,差別されるんですよ.」(218-9頁)

 

 「小学校の催しの時でも,車乗ってきたらあかんて言われて,車で行くのはこのムラのもんばっかり」というのは,ある40代男性の語りである.こういう語りがなされたというのは事実だが,その語りの内容が事実かどうかは,確かなことではない.〈不確かなもの〉を「確かなもの」であるかのごとく取り扱うのは,学問の作法ではない.「〔部落の人たちは〕人の迷惑考えず,決まりごと守らんから,差別されるんですよ」という発言は,部落外の者がすれば,偏見にみちた差別発言だが,部落の人自身がすれば,もっと深い意味がこめられているのだなどといったことは,無条件に成り立つ論法とは考えられない.

 〈不確かなもの〉の取り扱い方には,大きくいって2通りある.ひとつは,〈不確かなもの〉の真偽を〈確かめようとする〉方向である.小学校で催しごとがあるとき,車での来校は遠慮してほしいとの通知にもかかわらず,ほんとうに「車で行くのは被差別部落の人たちばかり」なのかどうかの,事実確認にせまる.もし,車で来る人には部落の人もいれば,部落外の人もいる,というのが「事実」であれば,なぜ,この人は,「事実」に反することを言い立てたのかを追究しなければならない.もし,この語り手の発言が「事実」だと確認できたときには,さらに,部落の人たちばかりが車で来校するのには,なにか理由がないかどうかが探究されなければならない.たとえば,部落外の人たちの場合だと,歩くなり自転車なりで簡単に学校に行けるところに自宅があるが,部落の人たちの場合には,家が学校から離れているうえ,バスも通らぬ不便なところにあり,自動車を使わないと用がたせない,といったことはないかどうかのチェック.そうではなくて,そういった条件は等しいのに,部落の人たちばかりが車で来校するということが認められた場合に,それを部落の人たちの「ルーズさ」「いいかげんさ」のせいにするといっても,その形成要因が探究されなければならない.かなり以前からの差別−被差別の関係性のなかで,そのような「ルーズさ」「いいかげんさ」が形成されたのかどうか,あるいは,このかんの同和対策事業の実施の過程で形成されたのかどうか,等々.

 もうひとつは,〈不確かなもの〉は〈不確かなもの〉として取り扱おうとする方向である.たとえば,語り手に,「車で来たのが部落の人ばかりだったというのは,いつのことで,車は何台あって,そのうち何台が部落の人のものだったのか」と尋ねて,「そんなことはいちいち数えていない」ということであれば,〈不確かな現実〉をもちだして,語り手がそういうことを語るのは,なぜか,が問われなければなるまい.いや,桜井さんの『インタビューの社会学』を読んだわれわれにとっては,その前に,聞き取りの場面で,語り手に「ムラの人々への批判や違和感」を語らせようとする力が作用してはいなかったか,といったことが問われなければなるまい.「解放運動の意図せざる帰結として部落の生活の問題性を描き出す」(227頁)ことを調査の課題として,聞き手が聞き取りの場にのぞみ,かつは,そのような課題を共有する「出身教師」が聞き取りの場に同席するとき,「ムラの人々への批判や違和感」がひとつのモデル・ストーリーとなってしまうことに,留意が必要であろう.

 

【福岡7 にもどる】

 『部落の21家族』は,書評を依頼されるということがなければ,まず絶対に最後まで読みとおすことのなかった本だったけれども,最後まで読まなければならないことで,語りを語りとしてとりあつかうとはどういうことかの一例と出会うことができました.これはラッキーでした.

 それは,中川ユリ子さんが執筆している「自分のムラに対して違和感を表現するとき」という章です.

 彼女は,聞き取り場面での語りを,ある“事実”が語られたというかたちでは処理せずに,あくまで〈語り〉として取り扱っているように感じられます.

 それを理解してもらうには,本文を直接読んでもらうのがいちばんだと思いますが,いくつか,抜き書きしていきます.

 

 部落の内側で語られるマイナスの評価と外からの誹謗中傷とは,たとえ内容が似通っていても意味が違う.「自分を解放せなあかん」と言った男性のように,批判や違和感が語られるときは決まって,自分を,あるいは,自分たちを叱咤し,鼓舞しようとする姿勢が見える.ある男性は,「より以上にちゃんとして自分を律しなあかんのに」と思うが,そうしない人がいるといって怒る.(338頁)

 

 ムラで生活する人々が自分たちの行動について批判的に述べるのは,その行動が,外の世界とつながるときに受け手の印象を悪い方に導く要因になると思っているからである.……常識と違ったことで,思わしくないことをしている人が,たとえ数としてはそれほど多くなくても,その人たちの存在によって,ムラ全体が非常識と思われることへの彼らの無念さが理解できる.(355頁)

 

 中川さんの場合,語りを並べることで,部落というものの特徴を描きだそうというよりも,語りを語りとして受け取ることで,ある人たちがあることを語るときの思いを描きだそうとしているように思われる.

 もちろん,同じ聞き取り資料を使っているのだから,中川さんも,大阪府下の8つの被差別部落に住む人びとの語りをひとまとめに扱わざるをえないという制約からは自由ではない.しかし,たとえば,「結婚後の5年ほどを除いて,生まれてからずっと同じ部落に住むR240代女性)さんは,地区外出身の夫がいる.結婚当初の32歳の頃,初めて外に出て働いたときのことを次のように回想する」(343頁)という説明を加えたうえで,語りを紹介するといったかたちで,可能な範囲内で,テキストをコンテキストのなかに投げ返そうとつとめてもいる.〔未完〕

 

【福岡8】2002.2.13

〔承前〕

 なかなかうまく書けないので,重複するところも出てきてしまいますが…….

 『部落の21家族』を手にとって,まず違和感をかんじたのは,大阪府下の8つの部落での聞き取りを一緒くたにして分析することで,部落に特徴的ななにごとかを言おうとしている姿勢に対してです.そうすることで,著者たちは,意図しないまま,部落というものを実体として存在させてしまっているからです.――そういう姿勢を英語で表現すれば,reify ということだと思います.この単語,辞書をひくと,「〈抽象観念などを〉具象化する,具体化して考える」と出ていますが,具象化するというのは concrete にするということですよね.concrete には,ただし,「具体的な」のほかに「固める」という意味もある.ようするに,コンクリート.英語の本や論文を読んでいてときたま出てくる reify は,固定化,ガチガチに固めてしまうっていう意味です.――

 そんなバカなって思いますよね.被差別部落を訪ねてみればわかるように,ひとつひとつの部落がそのたたずまいを異にしているわけですから.

 黒坂さんもぼくの「現代社会論」の授業で,差別発言テープを聞いていると思うけど.あれは,1985年に広島県でおきた事件だけど,差別発言を繰り返す女性に対峙した部落出身者のMさんの言葉が思い起こされます.そこで彼はこう言っていました.

 

 あなたにはあなたの個性があるし……,ひとりひとりがみなそれぞれ違うわけでしょうが.それが部落の人だったら,全国共通に同じような感覚で受け止めることのほうがおかしい思いますよ,わしゃ.一人,部落に犯罪者がおったら,部落の人がすべて犯罪者いうような感覚で見るわけ?……犯罪を起こす人もいれば,起こさないで,一生懸命,仕事がなくてもなんとか仕事をさがして生活している人もいるし.それは,部落外でも一緒でしょう? 部落外に犯罪者がいないかというと,そうじゃない思うんですね.だから,わしゃ,部落であろうがなかろうが,見方いうのは一緒じゃ思うんですよ.「部落だからこうだ」というものは,なんにもない.「部落だからこうだ」というのは,差別をされている現状があることぐらいしかないでしょう.「部落だからこうだ」いうて,型にはめられるもんは,なんにもない思うんですよ

 

 ぼくは,このMさんの考えを支持します.Mさんのようなものの見方が,カテゴリー化に対抗するものの見方だと思うからです.

 『部落の21家族』の著者の西田芳正さんたちは,やってはいけないことをしてしまっていると思います.部落というものをガチガチに固める方向での構築に加担していることに,無自覚でいると思います.

 それから,アタマにきたのは,この西田さん,自分はいろんなことがわかっています,といったふうな書き方をしてるんですよね.たとえば,「インタビューの内容面でも限定性は避けられない.23時間という長さで『生活史』を語ることはそもそも不可能だという時間的な制約もあるが,聞き手との相互作用の中でなされる語りであることも重要である.『差別でたいへんななか,がんばってきた』といった枠組みをこちらが抱き,聞きたいことを聞きたい形で聞き出してしまう,という傾向がなかったかどうか注意を要する」(180頁).

 語りが聞き手と語り手との相互作用のなかでなされるものであることを知っているのなら,なぜ,「3世代のライフヒストリー」と題して3家族の聞き取り資料を提示したパートで,聞き手の質問をいっさい消去してしまい,かつは,状況説明もいっさいはぶいた“ひとり語り”のかたちにしてしまったのか,理解できない.読者には,インタビューの場ではたらいたであろう相互作用を,読み取る手がかりがなにもないのだ.

 もうひとつ,5人の著者がそれぞれの関心事のテーマをあつかった分析編である「ライフヒストリーからみる生活の変化と課題」では,57人から聞いたという聞き取りの資料が,バラバラに分断されて,いくつもの個別命題を例証するものとして示されている.――西田さんは,こう書いていた.「部落の子ども達がいかなる家庭環境で育てられているのか,どのようなプロセスで大人へと成長しているのかを明らかにするためには,従来の数量的な調査,すなわちあらかじめ質問項目が設定された統計調査のみでは不十分であり,現実の生活の姿,親・子の意識の在り様に迫る別種のアプローチが必要となる.今回,我々が行った生活史調査は,質的な手法でこの問題の解明をめざして着手されたものであった」(2頁).

 おかしいよね.数量的アプローチと質的アプローチの違いは,データの取り方が違うだけではなく,分析の考え方そのものの違いにあるはず.統計的調査はある社会事象を説明するのに要素分解的なアプローチをとる.それにたいして,生活史調査は全体的(ホーリスティック)な理解を特徴とするはず.それなのに,聞き取りでの語りをバラバラに分解してしまったら,語りというテキストが聞き取り場面というコンテキストから遊離したものになってしまう.

 そういうコンテキストから切り離されたテキストの断片を用いて,かつは,8つの被差別部落を一緒くたにして,パッチワークのごとく“部落なるものの特徴”を抽出してみせられるとき,読者であるぼくはウンザリしてしまう.

 ただし,前のメールでも書いたように,ただひとり,「自分のムラに対して違和感を表現するとき」の中川ユリ子さんだけは,一味ちがったデータの読み解き方をしていた.ほかの著者たちが,前述のごとき方法論的に無理があるなかで,それぞれの語りがなんらかの事実を表しているものとみなして,そこから部落の人たちの暮らしぶりの特徴――それは,いわゆるマイナスと考えられるものだけでなくプラスと考えられるものも含んでいるのだが――を取り出そうとしているのに対して,彼女は,むしろ,ある語りが語られたということはひとつの事実であるとして,そこから語り手がなぜそのような語りを語ったのかを読み解こうとしているように思われる.

 たとえば,中川さんは,こういうコメントをつけている.「『差別の結果』ということばはさまざまな現象を簡単に分かり易く説明してくれたが,期せずして,同時に人々に言い訳の材料を与えてしまった.それではだめだと,彼女たちは言っている」(361頁).

 ここよりも,やはり,最後のまとめの部分のほうがいいかな.

 

 以上の語りは,日本全国に散在する部落一般のようすを語っているのではない.流入,流出の多い大阪府内の部落の事例である〔こういった限定をつけているのは,5人の著者のうちで中川さんだけ〕.そしてここに登場した語り手たちは,少なくとも貧困層ではない.しかし,そのような特殊性を考量してなおかつ,紹介するに足る語りであると考える.差別がきびしかった時代にできた内と外との間の壁は,いまだに取り除かれてはいない.ここに紹介した語りの多くが,その壁の影響について語っている.

 壁は差別をする人々によって作られたものであるが,部落の人々が差別からお互いを守ろうとする過程で強化され,その内部では閉鎖性が少なからず再生産されてきた.……

 すなわち,彼らが語らずにいられなかったのは,まずは,一部の人の思わしくない行為が外側の人の謗りの種になることを避けたいと思っているからであり,また,自分たちが自分たちのムラの変化に対応し切れていないのではないかという不安があるからである.そして,自分で考え自分で道を切り開いていくという,かつてのムラの先達が当然のこととして行ってきたことが,今できなくなっているのではないかという不安をも拭えなかったからである.壁は差別という外からの行為によって作られた.しかし,知らず知らずのうちに自分たちが保持してきたことも確かである.それに気づき,変化を捉え直し,今の自分の位置を確かめようとする人々の気持ちが,多くの語りから伝わってこないだろうか.(364-5頁)

 

 ちなみに,中川さんは,桜井厚さんたちと一緒に,部落での聞き取り調査を一緒にやってきた人である.いわばオン・ザ・ジョブ・トレイニングのかたちで,桜井さんのいうところの「対話型構築主義」の考え方を身につけていると思われる.

 中川さんがここで示した,語りをとおして語り手の思いを読み解こうとするというのは,聞き取り資料の読み取り方のひとつだと思われる.ぼく自身も,被差別部落での聞き取りや在日コリアンの若い人たちからの聞き取りでは,〈共感的理解〉ということを心がけてきたつもりだ.つまり,生活史の語りを聞いていくなかで,いまぼくの目の前にいる人がかくかくしかじかのことを語るのはよくわかる,もし自分がこの人とおなじ立場に置かれてきたのなら,自分もおなじことを考えていたにちがいない,というふうに得心できるところまで,話を聞いていくというのが,ぼくのいう〈共感的理解〉である.

 中川さんの採った方法もおなじものであるのなら,「語り手の気持ち」を無媒介的に提示するのではなく,その人の語りを全体的(ホーリスティック)に提示することで,語りそのものをとおして読者が「語り手の気持ち」に接近できる道筋を用意すべきではなかったか,と思われる.共同研究の一部の分担という制約を考えれば,ないものねだりかもしれないけれども.

 

【福岡9】2002.2.19

解放出版社

小橋一司さま

 埼玉大学の福岡安則です.

 『部落の21家族』を読み,書評原稿を書きましたが,ご期待にはそえない内容になっていると思いますので,原稿はボツにしてください.

 この本は,部落解放・人権研究所編であり,解放出版社から出版され,それを『部落解放』誌上で「書評」してほしいということは,やっぱり,ほめてほしいということですよね.しかし,中川ユリ子さんが執筆した「自分のムラに対して違和感を表現するとき」の章を除いて,あとの本書の大部分は,ぼくには読むにたえないものだったというのが,正直な読後感です.

 それはなぜなのかということを少しでもお伝えするために,添付ファイルでは,17字×58行の原稿のほかに,それを書くために書いた下書きも,お送りさせていただきます.

 ほんとうに申し訳ありませんが,ご理解いただきたいと思います.315日になって,急に,ボツ原稿を送りつけられても,雑誌編集にお困りになると考え,すこしでも早めにお送りさせていただきました.

 すみません.

 

書評 部落解放・人権研究所編,2001,『部落の21家族――ライフヒストリーからみる生活の変化と課題』解放出版社.

 『部落の21家族』は,500ページを超す大著である.大阪府下の被差別部落8地区の21家族,計57人から生活史の聞き取りをおこなったまとめであり,分析の結果である.聞き取り,テープおこし,研究会での議論など,本書ができあがるまでに費やされた時間と労力が膨大なものであることは,すぐわかる.しかし,残念なことに,本書はわたしにとっては読みやすい本ではなかった.著者たちの採用した方法論が,わたしにはしっくりこなかったからである.

 まず第一に,著者たちは,「集団としての生活史」を浮かび上がらせることに主眼をおいたと述べているが,被差別部落を対象として「集団としての生活史」を描くというのは,どうすれば可能なのだろうか.わたしには,8つの被差別部落での「語り」をひとまとめにして分析することで,「部落の生活様式」の「特徴」を取り出そうとするのは,ムチャだし,やってはいけないことだと思われる.

 「被差別部落というカテゴリー」は「押し付けられた」ものである,というのが,部落差別を不当と考えるわたしたちの共通理解のはずだ.1985年に広島県でおきた差別発言事件で,差別発言をくりかえす女性とむきあった部落出身のMさんは,「部落だからこうだ,いうて型にはめられるもんは,なんにもない.部落だからこうだ,というのは,差別をされている現状があることぐらいしかないでしょう」と批判していた.わたしは,このMさんの言うことを支持する.

 「集団としての生活史」を描くということは,8つの部落を一緒くたにすることではなく――それは,「実体」として部落なるものが実在するという見方を採用していることになってしまう――,ひとつひとつの部落の暮らしぶり,生きざまを描くことだと思う.

 本書への批判ばかりを書いてきたが,中川ユリ子さんが書いた「自分のムラに対して違和感を表現するとき」の章は,読後感がスッキリしたものだった.それは,彼女が,語られたことを安易に「事実」として取り扱うのではなく,あくまで「語り」は「語り」として取り扱い,部落に暮らす人たちが「ムラの人々への批判や違和感」を語ってくれたのはなぜかをこそ,読み解こうとしたからだと思われる.こういった視点が共有されていれば,本書はもっと違ったものになっていたのではないかと惜しまれる.(福岡安則)

 

【小橋10】2002.2.28

福岡安則様

 原稿,受け取りました.ありがとうございます.

 いただきました本の紹介の原稿ですが,ぜひ雑誌『部落解放』5月号に掲載させてください.無理やりほめていただくというわけにもいきませんし,率直に批判を書いていただいた方がいいと思います.聞き取りの方法論に関する問題提起になると思います.

 ただ一応,この本を担当した(と思われる)研究所の中村清二さんに「この原稿を載せます」と声をかけました.ちょっと中村さんが出張などでいなかったので,返事が遅くなりました.中村さんも「いいですよ」ということでした.

 それで,いただいた原稿を掲載させていただきたいのですが,よろしいでしょうか.

解放出版社編集部 小橋一司

 

【福岡11】2002.3.13桜井厚さんへの質問

桜井厚さま

 福岡安則です.

 『インタビューの社会学』を読んでの質問です.研究会でやることの先取りのつもりですので,マイノリティ問題研究会のMLをつかって送信します.ご返事は,メールでくださっても,研究会の席上でもかまいません.

 ひとつは,用語の問題です.ぼくには,〈物語世界〉と〈ストーリー領域〉という2つの用語が,いまひとつピンとこない.桜井さんがほどこしている定義を頭によく入れておけば,なんとかわかるのだけど,単純に「物語」と「ストーリー」ってどう違うんですか,という疑問がわいてきてしまうのです.

 桜井さんは,126頁で,こう書いています.

 

 K. ヤングも,こうしたフレームの存在を指摘し,フレーム内の語りを〈物語世界 taleworld〉フレーム外の評価や態度を表す語りを〈ストーリー領域 storyrealm〉とよんで区別している.この用語にしたがうと,〈物語世界〉は出来事が筋によって構成されている語りであるのに対して,〈ストーリー領域〉はメタ・コミュニケーションの次元での語りであり,語り手と聞き手(インタビュアー/読者)の社会関係を表しているのである.私たちは,この2つの位相を合わせた全体をライフストーリーあるいはたんにストーリーとよぶことにしよう.すなわち,ライフストーリー・インタビューにおいては,3つの異なる位相があることになる.まず,日常的な場面における〈会話〉とインタビューにもとづくライフストーリーとに大別され,さらにライフストーリーは,〈ストーリー領域〉と〈物語世界〉の2つの異なる位相で構成されているのである.

 

 ただ,ちょっと桜井さんの用語法にみだれが見られます.桜井さんは,上述の箇所より少し前の118頁では,「会話は〈いま‐ここ〉の時空間で行われるのに対して,ストーリーは〈あのとき‐あそこ〉のことであり,リアリティの位相が異なるのである」と述べていながら,131頁では,「NKは顔を見合わせながら『なあ』とため息まじりにうなずき合い,最後のNの言葉は,それまで語ってきた出産の物語に対する〈評価〉となっている.これらはいずれも,〈いま‐ここ〉の〈ストーリー領域〉で交わされているものであって……」と述べています.

 前者によれば,「ストーリー」に含まれる〈ストーリー領域〉も〈あのとき‐あそこ〉のことのはずであり,後者によれば,〈ストーリー領域〉は端的に〈いま‐ここ〉で交わされるものであって,矛盾した記述になっています.

 とにかく,いちばんスッキリした記述は,176頁にみられる,「語りの内容(〈物語世界〉)」と「語りが構築されていく相互行為過程(〈ストーリー領域〉)」という表現の仕方です.これならよくわかる.――いっそのこと,〈物語世界〉という言い方は残して,まぎらわしい〈ストーリー領域〉のほうはやめてしまったほうがわかりやすいような気もします.

 (1) 日常的な「会話」の位相……当然〈いま‐ここ〉.

 (2) インタビューのなかでの「語りが構築されていく相互行為過程」……やはり〈いま‐ここ〉.ただし,つぎの〈あのとき‐あそこ〉のこととして語られた「物語世界」に対する〈いま‐ここ〉からの評価を含む,というか,「物語世界」に対するいわば出入口となっている.

 (3) インタビューのなかで,さらにフレームで囲われた「語りの内容」……〈あのとき‐あそこ〉の語り.

というふうに,なりますよね.

 ついでに,ひとつ質問があるのですが…….

 語り手が自分の体験してきたことを,〈あのとき‐あそこ〉の物語として語るのが「ライフストーリー」だとすれば,実際には,聞き取り場面で,それとは異なる位相の質問−応答がなされることがありますよね.ぼくは,それを,「イッシューにかかわる問いと答え」というふうに括っています.

 在日韓国・朝鮮人の若い人たちからの聞き取りでは,ぼくは,いつも,生活上での体験や思いをずっと聞いてきて,最後の段階で,いくつかの〈イッシュー〉,たとえば,言葉の問題だとか,名前の問題だとか,国籍の問題について,あなたはいまどう考えているかを尋ねました.生活上の体験や思いというのは「ライフストーリー」ですが,イッシューについての意見,考えというのは,ライフストーリーとはちょっと違うように思います.桜井さんの場合は,それらは「ストーリー領域」での語りというふうに括られるのでしょうか.

 でも,イッシューについての語りも,いわばひとつの「フレーム」に囲われているような気もするのですが.「ストーリー領域」というのが,「フレーム外」に位置して,「フレーム内」への出入口をかたちづくるものであるとするのなら,イッシューについての語りを「ストーリー領域」に位置づけてしまうのでは,なんとなく釈然としません.

 ぼくが「イッシューについての語り」にこだわるのは,ぼくの聞き方では,その語り手の人がいまいかなる存在としてあるのかということを,桜井さんのいう「ストーリー領域」での語りだけでなく,「イッシューについての語り」をも含めて,理解しようとしていて,その人がいまかくあるのはなぜかという了解を,「ライフストーリー」の部分で跡付けていくことでしようとしているからなのかもしれません.――もっとも,人を理解するという営みが,こんなふうに杓子定規なかたちで実際には行われているわけではないような気もしますが.

 もうひとつは,調査倫理にかんすることです.

 桜井さんは,この本のなかで(41頁からと82頁からの箇所で),調査倫理の問題について入念な記述をされていて,すごく参考になりました.ほぼ全面的に賛成ですが,ただ1点,ほんとうにそう考えておられるのかお尋ねしたいところがあります.J. スプラッドレーの指摘を参照しながらという但し書きが付いている箇所ですが,「なお,公表にあたって,たとえばライフストーリーを全面的に採用した作品の場合など,著作権の一部は語り手に属すると考えることもでき,著作権料などの新しい問題が生じる可能性もある」(44頁)と書かれています.桜井さんは,ライフストーリーをもとに本を書いたときには,印税を語り手と分けあうべきだと,本気で考えているのでしょうか.

 いや,けっこう大変な問題だと思いますよ.桜井さんは「ライフストーリーを全面的に採用した作品の場合」と限定づけていますが,全面的と部分的採用の線引きは,そう簡単ではないと思うし…….

 また,「印税の一部はあなたのものです」ということを,どの段階で言うのでしょうか.聞き取りへの協力を依頼するインフォームド・コンセントの段階で言うとすれば,「金銭的謝礼を前提としたインタビュー」になってしまうし…….ぼくは,そういうのって,なんとなく嫌だなって思います.でも,最初の段階で説明しないというのも,なにかおかしいし.

 あるいはまた,その金銭的謝礼は,何に対してのものなのでしょうか.インタビューに応じて,一定時間「語った」ことに対してであれば,ライフストーリーを元にしたケーススタディが本になった人も,ならなかった人も,同様に「労働」しているわけですよね.どうして,同じように「語った」のに,ある人はお金がもらえて,ある人はお金がもらえないことになるのでしょうか.

 著作権料の一部を語り手に渡したくないと言っているぼくは,ケチなのかもしれませんが…….実際にぼくがやってきたのは,本にしたときに,その本に語りを収録させてもらった人であれそうでない人であれ,聞き取りに応じてくれた人たちみんなに,本を1冊ずつ差し上げたことです.また,あいだに入って世話をしてくれた人にも,あるいは,社会学の友人たちにもあげることで,たいていの場合,本を出しても,印税が手元に残るどころか赤字になりましたので,著作権料うんぬんということは考えずにきたのが実情です.

 ただ一度だけ,中公新書で『在日韓国・朝鮮人』を出したときだけは,そうやっても,もうけが出ました.このときは,在日の活動グループに多少のカンパをしたりもしましたが,大部分は英語の本をつくるのに注ぎ込んでしまいました.

 そもそも,金儲けをしたいのであれば,研究者にはなっていなかった,というのは言い訳にならないでしょうか.調査研究の成果を本にしても儲かることはマレだし,儲かった場合にはそれを研究に投げ返すつもりだ,ということで,語り手の人たちの了解が得られないものでしょうか.

 そうそう,調査倫理の問題にかんして,桜井さんに率直に聞きたかったことがひとつありました.「III 相互行為としてのライフストーリー」で「警察の尋問みたい」と言った女性の語りを使っていますが,桜井さんはこの本を書くにあたって彼女からも,「こういうかたちであなたの語りを使わせてもらいたいが,よろしいでしょうか」という了解をもらったのでしょうか.了解がもらえたとしたら,それはすごいなぁ,と思います.彼女はどんなふうにOKをくれたのですか.

 

【福岡12】2002.3.13誤植について

桜井厚 さま

 福岡安則です.

 桜井さんの『インタビューの社会学』を読んでいて,いくつかの誤植というか,入力ミスに気がつきました.この本は,版を重ねるでしょうから,増刷のときに直してもらったほうがいいと思います.――例によって,お節介ですが.

 

343行目

はかるのである(Sarbin 1986: 12). → はかるのである.(Sarbin 1986: 12

【句点の位置を( )の前に訂正する.前後各1行あけて,引用文であることを明示したばあいには,句点は文献注のカッコを閉じた後ではなく,文献注の前.桜井さんも,他のところでは,そうしています.】

 

47頁,後ろから1行目

ありえない(トーマスほか 1983: 88). → ありえない.(トーマスほか 1983: 88

【前と同じ】

 

668行目

調査者−非調査者関係 → 調査者−被調査者関係

 

708行目

「研究者ためのデータ収集 → 「研究のためのデータ収集

 

729行目

できたのである(Stacey 1983: 113). → できたのである.(Stacey 1983: 113

【最初と同じく,句点の位置の訂正】

 

754行目;2739行目

【ここも引用文にかかわって,句点の位置の訂正】

 

135頁,後ろから3行目

〈ストーリ領域〉 → 〈ストーリー領域〉

 

1657行目

あくまでの → あくまでも

 

188頁,後ろから2行目

偶然の出来事などによることなどが → 偶然の出来事によることなどが

【「など」が繰り返されているのが気になりました.】

 

1934行目

階層に性をうけ → 階層に生をうけ

 

193頁,後ろから3行目

世俗的な事実 → 現世的な事実

【桜井さんが「世俗的」と訳された原語が secular でしたら,つぎの「空想的」との対比でいうと,訳語としては「現世的」のほうがいいように思うのですが.】

 

1941行目

事実と創造 → 事実と想像

【前の Sarbin の引用文との関連でいえば「事実と創造」なのでしょうが,一般的な用語法および次のデンジンの文言との関連でいえば,「事実と想像」ではありませんか.】

 

228頁後ろから2行目;2294行目;2295行目

なって始めて → なってはじめて

【初めてのこと,という意味でしょうから,漢字でかけば「初めて」とするほうが一般的だと思いますが.】

 

230頁,後ろから2行目

整理しておこうシュッツは → 整理しておこう.シュッツは

【句点が落ちていました.】

 

【福岡13】2002.3.14誤植(続)

桜井厚 さま

 福岡安則です.

 お節介の続きです.

 前便で,

 

228頁後ろから2行目;2294行目;2295行目

なって始めて → なってはじめて

【初めてのこと,という意味でしょうから,漢字でかけば「初めて」とするほうが一般的だと思いますが.】

 

ということを書きましたが,239頁でおなじ箇所のトランスクリプトが引用されていますが,そこでは,「いまになって始めて」ではなく「いまになってはじめて」とかな書きされていました.また,228頁の後ろから1行目では「人生終わりになって」とあるのが,239頁では「人生終りになって」となっていて,送り仮名の書き方が異なっていました.たしか,この本では,桜井さんは「終り」という書き方をしていたと思います.――なんでぼくはこういうことに気がついてしまうのだろうか,と自分でもあきれてしまうのですが.

 

273頁の引用文の最初の行頭が1字さげになっていません.他の引用文では,最初の行頭は1字さげにしています.

 

2749行目

(エプストン・ホワイト 1997) → (エプストン/ホワイト 1997

【共著者名の書き方ですが,「エプストン・ホワイト」という表記法は,エプストンがファーストネーム,ホワイトがファミリーネームととるのが一般的です.『社会学評論スタイルガイド』では,杉本良夫とロス・マオアの共著の場合は,「杉本良夫/ロス・マオア」と書くことにしようと決めました.そのルールを援用すれば,「エプストン/ホワイト」というふうに書けばよいことになります.】

 

279頁,後ろから4行目

ジェンダーと交錯するほかの要因――国民性,人種,エスニシティ,階級,年齢のような――

のなかの「国民性」という訳語が,どうも気になります.「国民性」以外の要因はすべて,ひとが帰属する要因として述べられていますので,「国民性」も,同様のはずです.しかし,「国民性」という日本語は,ひとが帰属するなにものかではなく,ある国民が共通してもつ特性といった意味に用いられているはずです.「国民性」は,nationhood もしくは nationality の訳語なのでしょうが,「国民性」ではなく「ある国民の一員であること」の意味でしょうから,「国籍」のほうがマシだと思われます.

 また,桜井さんは,261頁でも「民族性,身分,階級,年齢,ジェンダー,性的指向など」という書き方をしていますが,ここでも「民族性」の語には違和感があります.やはり「民族性」は,ある民族が共通してもつ特性といった意味で日本語としては使われていると思われますので,ここは単に「民族」のほうがいいのではないか,と思いました.

 

【福岡14】2002.3.14誤植(最後)

桜井厚さま

 福岡安則です.

 たぶん,最後のお節介です.

 

2883行目

線引する → 線引きする

【すぐ次の行,引用文だけど「線引きの」とあります.統一したほうがベター】

 

288頁,後ろから3行目〜2行目

特定の他者―家族,友人,仕事仲間―に語る → 特定の他者――家族,友人,仕事仲間――に語る

【註釈のかたちでの割り込みですから,全角ダッシュ1つではなく,全角ダッシュ2つでしょう.桜井さんは他ではそうしています】

 

290頁,註のI(1)2行目

「社会法則」 → 『社会法則』

【「 」のなかでは,元からのカッコは二重カッコでしょう.本文のなかでは,桜井さんはそうしています.たとえば,66頁の4行目の『幸福な時代』.】

 

293頁,註のII(1)8行目

「学識・能力」 → 『学識・能力』

【同上】

 

293頁,註のIII(1)

行ったものに(Moerman 1992)がある. → 行ったものに Moerman1992)がある.

【というふうに,ぼくなら書きます,というか,『社会学評論スタイルガイド』では決めました.というのは,( )書きというのは,あくまで割注だから,そのカッコの部分を飛ばし読みしても文意が通じるようになっていなければならないはずだからです.――桜井さん自身が,294頁の註のIII(3)では, 坂部(1992)が という書き方をしていました.】

 

298頁,後ろから6行目

「(社)反差別連帯解放研究所しが」 → 「(社)反差別国際連帯解放研究所しが」

 

2993行目

「語りを聞く方法―ライフストーリー → 「語りを聞く方法――ライフストーリー

【タイトルとサブタイトルのあいだは,2倍ダッシュだと思います】

 

2999行目

『生活戦略としての語り―部落からの文化発信』 → 『生活戦略としての語り――部落からの文化発信』

【同上】

 

299頁,後ろから6行目

前述の生活史調査を誘ってくれた → 前述の生活史調査に誘ってくれた

 

【桜井15】2002.3.14桜井さんからの返信

福岡安則さま

 ご連絡が遅くなりました.いろいろ誤植の指摘をありがとうございます.とにかく,たまげています.昔からわかっていたつもりですが,こんなにもいろいろ気がついてしまう福岡さんの方に,ただただ驚くばかりです.敬服します,なんて言い方では,とても表現できないものがあります.

 また,言葉の使い方,概念の間違いなどの指摘もたいへん勉強になります(「勉強」というのは,ほんとうに素直な気持ちです).2刷がでるかどうかはわかりませんが,そのときにはぜひ今回のご指摘を参考になおします.

 また,数々の疑問については,なかなか痛いところをつかれた思いです.とくに,調査倫理については,永年インタビューをしてくれば,どこが落ち着き先か,お互いにわかることもあります.本だからこう書いたものの,実際はなかなかそうはいきません,ということが数多いのはいうまでもありません.研究会の席上では,「すみません,口ばっかりで」ということになるかもしれません.とにかく,いろいろご指摘いただいた疑問については,なるべく研究会の席上で答えるようにいたします.

 取り急ぎ,誤植の指摘についてのお礼です.

桜井 厚

 

【黒坂16】2002.3.18

福岡先生

 さしでがましいかなとも思うのですが,福岡先生が指摘されていた個所以外で,『インタビューの社会学』のなかでわたしが気づいた誤植があるので,書きます.

 

79頁,終わりから3行目,「そのま【ま】再生」

85頁,はじめから5行目,「対象になる人にとって【の】利点」

103頁,はじめから2行目,「リレフレクシブ」【→「リフレクシブ」】

149頁,はじめから2行目,「想定してされている」【→「想定されている」】

203頁,はじめから4行目,「個人的現実」【→「個人史的現実」】

それから,107頁に出てくる文献「Seidman 1998」が,巻末の参考文献のなかにありません.

 

 先生のメールで,〈ストーリー領域〉と〈物語世界〉の区別はやめちゃえば? というのがありました.でも,桜井先生の文脈では,〈会話〉と〈ストーリー領域〉と〈物語世界〉とは,「いま−ここ」と「あのとき−あそこ」という区別だけでなくて,「意識作用」と「時間の様式」と「自己経験の様式」において区別されるのだ,といっています.(135頁のまんなかへんの「上記3つの特質」って,なんのことか,はじめはわかりませんでしたが,おそらくその直前の3つの節のことですよね.)

 〈会話〉/〈ストーリー領域〉/〈物語世界〉は,「意識作用」においては自然的態度/緊張/緊張緩和,「時間の様式」においては標準時間/語り手とインタビュアーの相互性による時間感覚/過去の出来事のなかの登場人物が経験した時間の地平,「自己の経験様式」においては社会的自己/語り手/登場人物たる自己,というように区別されます.

 わたしは,〈ストーリー領域〉に,相互作用の磁場のなかで自明な領域(=〈会話〉がなされる領域)が壊され〈物語世界〉が生まれる場所,というイメージを読み取りました.それはつまり,固定化されていたものが流動化する,相互行為の場です.これはやっぱり〈物語世界〉とは区別されるべきじゃないかとも思うのですが.

 わたしは,別のところで素朴な疑問というか……,165頁のところで,物語世界を客観的時間で捉えようとすることは「実証主義的」だといわれてしまうけれど,それって言い過ぎなんじゃないのかな…….別に唯一の「事実」を確定するためじゃなくても,客観的時間があったほうが,「内的一貫性」をうちたてる手がかりにもなるし,聴衆が語り手の経験を共有しやすくもなるんじゃないかなぁ,なんて.

 それから,246頁で,ライフヒストリー研究法では,個別的なものからいかに普遍的なものをひきだすか,ということに議論が費やされたとあるけれど,本書としてはどういう結論が出ているのかな.ライフヒストリーの推論の過程が帰納的であり,また,モデル・ストーリーの萌芽が個別の語りから生ずることから,「普遍的なものをとらえる視点は個別的なところから得られるのだ!」「普遍的なものは個別的なところから広がるのだ!」と主張しているのかな.それとも,「そもそも個別的なものから普遍的なものをひきだそうなどとしなくてよい!」といっているのかな.わたしとしては後者が好みなのですが,それじゃあ科学にならないんでしょうか?

 

【福岡17】2002.3.18誤植(補遺)

桜井 厚さま

 福岡安則です.

 埼玉大学の院生の黒坂愛衣さんから,桜井さんの『インタビューの社会学』の誤植についての指摘がいくつかありましたので,お伝えします.ゼミなどで,いつも,レポートの書き間違いの探しっこばかりやっているものですから,ゼミの学生も書き間違いに気づくようになっているのだと思います.

 そうそう,黒坂さんが補充してくれた以外にも,290頁,註の(1)2行目,「機能」は変換ミスで「帰納」が正しい.

 

【桜井18】2002.3.20桜井厚さんからのメール

福岡安則さま

 昨日の研究会は,いろいろとありがとうございました.以前に参加したときも思いましたが,若い人たちが多いからでしょうか,とてもエネルギッシュな雰囲気があっていいですね.

 

【福岡19】2002.3.20福岡からの返信

 こちらこそ,きのうはありがとうございました.あんなに集まったのは,ひさしぶりでした.「桜井人気」ですよ.

 

【桜井18】

 帰りに福岡さんからいただいた対話形式のエッセイ,とくに例の『部落の21家族』の書評,ぼくはあまり読んでいないのですが,おそらく福岡さんの指摘で十分なのだろうと思っています.西田さんには,一度,滋賀に来てやり方を話してもらったのですが,手法はまったく参考にならず,批判ばかりがでてきてしまったものです.中川さんは,たしかにそこでのやり方に疑問はもっていたので,トランスクリプションのしんどさがないことは喜びながら,しきりにぼくとやった調査をなつかしがっていたものです.そういう経緯をしらない福岡さんが,本の内容からそれを喝破していることに驚き,敬服しました.

 

【福岡19】

 あの本のひどさの裏付けを得られて,ぼくとしても,助かります.そういう意味では,「批判だけ」の書評が出ることになったのは,よかったなと思っています.

 

【桜井18】

 さて,福岡さんの最後の質問に応えませんでした.失敗した例に挙げたインタビューの語り手には,この種の分析をしたということは伝えてありません.彼女が語ったままの編集版(匿名)は,ほかのひとのものといっしょに集会所においてあり,それは知っているはずですが.たしかに調査倫理については,やはり可能性としてはこのようなものがある,望むらくはこうだ,式にとどまっているのが正直なところです.

 

【福岡19】

 そうですよね.あの女性の人から,あの形での掲載のOKはとれませんよね(やってみれば,とれるかもしれないけど).ぼくとしては,ライフヒストリーのかたちで,聞き取りデータを「全面的」に使うときには,絶対に,本人の承諾をもらう,ということにしていて,それ以外は,ケースバイケースというか,了解をもらわないこともあります.

 

【桜井18】

 印税がどの程度のものかは別として,『口述の生活史』並みのものがもし売れるとすれば,今後は形式的な「編著」程度でおさまらないこともありえるのではないでしょうか.語り手が著作権を主張する可能性はあると思うし,むしろ自伝を書くから,そのために手伝ってくれという言い方で,インタビューを引き受けることはありえますよね.それに,調査者が「編著」とするのも,内容については語り手を「著者」の位置に置いているからではないでしょうか.ちょっと逆説的な言い方をするなら,むしろ,ぼくの立場は,インタビューの相互行為という意味で,語り手に一方的に語りをゆだねているわけではない,こちらにもちゃんとした「著者」の立場がある,というものです.とにかく,共著者になりうることは,すでにアメリカではいくつか例があるようです.

 応え忘れたこともふくめ,取り急ぎ,お礼を申し上げます.

桜井 厚

 

【福岡19】

 『口述の生活史』のばあいだったら,印税を分けあうのは,ムリのない選択だと思いますね.ぼくの中公新書もかなり売れたのですが,ちょっと躊躇してしまうところがあるというのが,正直なところです.

 ぼくのばあい,『在日韓国・朝鮮人』の印税のおかげで,ぼくの在日コリアン研究のいわば集大成を英語の本にすることができたんですね.