出典:福岡安則,1985,『部落解放と大学教育』,全国大学同和教育研究協議会,2:43-5

 

「日本解放社会学会」の発足にあたって

 

福岡 安則

 

 1985327日〜29日,山口県長門市.山口女子大学教授の岩田啓靖氏が副住職を務める大寧寺にて,私たちは,第1回「日本解放社会学会大会」を開催した.

 「差別問題の解決・人間解放の達成をめざす解放社会学を研究し,その発達普及を計ることを目的」(会則第2条)に掲げた学会を結成するまでの経過,これからの抱負について,簡単に報告したい.

 

 6年間の歩み

 差別問題が,もっとも深刻な社会問題の一つであること,これは,言うまでもないことだ.社会学者が,差別問題に取り組むこと,これは当然のことだ.

 だが,ひところまでは,社会学者で差別問題に取り組んだ人は,ごく一握り.社会学者たちの世界では“変わり者”と見られていたのが実情だ.大学院生が「差別問題を研究したい」と言うと,指導教官は,まずこう言った.「きみ,そんな問題に手を出すと,就職がないよ」.――現在でも,関東の大学では,こういった雰囲気が支配しているのだが.――

 そういう状況のなかで,私たちは,1979年,茨城大学で開かれた,第52回「日本社会学会大会」で,はじめての「差別問題部会」をもった.差別問題に取り組む社会学者たちの結集軸を作りだすために.

 「とりあえずは,継続すること」を合い言葉にした.以来,北大,慶応大学,神戸大学,埼玉大学,龍谷大学と,1年も欠かさず,「日本社会学会大会」の「差別問題部会」を続けてきた.

 たかだか数十名が結集したにすぎないが,やはり,“個人プレー”と“チームプレー”では影響力がちがう.差別問題にかかわる社会学者が集団化したこと.日本社会学会における学会活動を,6年間持続的に展開したこと.これにより,ささやかながら,私たちは,次のことを達成してきた.

 (1)「日本社会学会」の常設部会の一つとして,「差別問題部会」が認められた.

 (2)「日本社会学会」の機関誌である『社会学評論』の「文献目録」欄に,「差別問題」の分類が設けられた.

 (3) 1984年の第57回「日本社会学会大会」では,「差別の現象学」が,4つの「テーマ部会」(いわゆる学会シンポジウム)のひとつとして開催され,成功をおさめた.

 以上により,徐々にではあれ,着実に,「日本社会学会」のなかで,「差別問題」の研究が“市民権を認められるようになった”(日本社会学会のある理事の言葉).

 私たちは,「日本社会学会」レベルでの活動とは別に,独自の研究活動も展開してきた.

 水戸ではじめて顔合わせをした2年後,1981年の暮れに,「解放社会学研究会」を組織し,毎年,春3月に,23日の「解放社会学セミナー」を開催してきた.また,共同プロジェクト研究をおこなってきた.

 

 「日本解放社会学会」結成

 その「解放社会学研究会」を発展的に解消して,あらたに組織したのが,「日本解放社会学会」である.

 現在,会員数,59名.まだまだ,少人数である.ただし,幽霊会員はゼロ.会費納入を怠れば,ただちに「退会した」ものとみなすからである.このうち,36人が,山口県での結成大会に参集した.アクティヴなメンバーが多いことは,誇ってよいと思う.

 部落差別をはじめとして,性差別,民族差別,障害者差別,被爆者差別,底辺労働者差別など,さまざまな差別問題をテーマに選ぶ研究者が,参加している.また,方法論的にも,従来のオーソドックスな社会学理論だけでなく,現象学的社会学,エスノメソドロジー,生活史,ラベリング論,記号論,数理社会学など,社会学研究の先端をいく方法を身につけた研究者が,集まった.

 ちなみに,学会役員は,次のとおり.

会長 江嶋修作(広島修道大学)1)

顧問 磯村英一(東京都立大学名誉教授),鈴木二郎(明星大学)

理事 鐘ケ江晴彦(専修大学),田中和子(国学院大学),福岡安則(千葉県立衛生短期大学),上野千鶴子(平安女学院短期大学),加藤春恵子(関西学院大学),田宮武(関西大学),野口道彦(大阪市立大学),青木秀男(広島修道大学),春日耕夫(広島修道大学),岩田啓靖(山口女子大学)

 

 「学会」の活動

 学会への組織替えにあたって,いちおう会則は制定したが,実質的に意味をもつ“規則”は,次の2つだけ.「研究会」時代からのものである.

 1つ.「差別問題を研究するからといって,タテジワをよせない」.つまり,こういうことだ.米も作らず,鉄も作らず,商いもしない,大学の研究者が,差別問題にかかわるからといって,“被差別者になりかわって,深刻ぶる”のはやめよう.それよりも,具体的に,差別問題の研究をおし進め,少しでも,差別問題の解決に寄与しうる研究成果を出していこう.

 2つ.「アシのひっぱりあいはやめよう.アタマのたたきあいをしよう」.つまり,こういうことだ.差別問題の研究者仲間に,“権威主義的”な要素や,“ねたみ”の要素を持ち込むまい.そんなヒマがあったら,おおいに相互批判をやって,研究成果を出していこう.

 そして,学会の結成にあたって,確認し合ったことは,「わかることは,かわること」だ.研究成果を出すことは,社会学でメシを食べさせてもらっていることの最低限のお返し.義務をはたしているだけでは,おもしろくない.研究しながら,「こんなに変わった.ちょっとはマシな人間になれかみたい.もうかった!」と言えるようになろう,ということである.

 以上の方針で,私たちは,「学会」を運営していく.具体的な活動としては,次のとおり.

 (1)「日本解放社会学会大会」を毎年開く.それにより,全国の研究者の交流を深める.

 (2)「日本社会学会大会」での「差別問題部会」を継続する.それにより,ささやかではあれ,日本の社会学の質的変革をめざす.

 (3) 共同プロジェクト研究をおこなう.

 (4)『解放社会学双書』(明石書店)を刊行していく.すでに,『解放社会学双書 1 マスコミと差別語問題』(磯村英一・福岡安則編),『解放社会学双書 2 社会「同和」教育変革期』(江嶋修作編),『解放社会学双書 3 現代社会の差別意識』(福岡安則著)を出した.つづいて,『被差別の文化・反差別の生きざま』,『現代若者の「差別する可能性」』,『口述の部落史』,『大学「同和」教育分岐点』,『解放社会学入門』等々をまとめていく予定である.

 (5) 若手の研究者の活躍の場を作る.「奨励研究助成金」の制度を作った.わずか10万円だが.第1回の助成金は,石川准君(東京大学大学院)ほかの,障害者問題にかかわる「自立生活運動への社会学的接近」に授与された.

 (6) 眼前の差別問題に対して,積極的に発言していく.第1回大会では,「指紋押捺」拒否をしたばかりの一会員から,支援要請がなされた.作ったばかりの「学会会長印」の使いぞめは,要請書への押捺に用いられた.

 以上のようなイメージで,私たちは,「日本解放社会学会」の活動を展開していくつもりである.

 多くの方々の「入会」を望みます.

 また,歴史学,教育学等でも,同様の「学会」の結成を期待しています.

 

[注]

1) 初代会長が江嶋修作(広島修道大学),2代目会長が鐘ケ江晴彦(専修大学),3代目会長が福岡安則(埼玉大学)とつづいて,19983月からは志村哲郎(山口県立大学)が会長に選ばれている.明文化はされていないが,50歳をすぎたら,会長を退くことが不文律となっている.事務局長は,福岡安則,大庭宣尊(広島修道大学)の後をうけて,19983月からは塚田守(椙山女学園大学)が担当している.また,編集委員長は,福岡安則の後を受けて,同じく19983月から山田富秋(京都精華大学)が担当している.

 なお,初代会長の江嶋修作,第1回大会からの理事の青木秀男,そして,処分当時理事であった亘明志,福留範昭,好井裕明の5名の会員が,199010月,広島修道大学により不当解雇処分を受け,現在なお裁判係争中であり,日本解放社会学会は総会決議にもとづき,かれらを全面的に支援している.〔この注は,19994月加筆〕