庚申塔
文化8年(1811)建立
 ※ちなみにこの年は「辛未」(かのとひつじ)の年    であり、「庚申」の年ではない。

 五関村の庚申講が建てたもの。左側面は「東よのみち」「南はねくら大山へ」と変体仮名で標記してある。  庚申講は農村を中心に江戸時代から爆発的に流行したもので、中国の道教の思想に源流がある。60日に一度やってくる「庚申」の日の夜、人間の体内にいる「三尸の虫」(さんしのむし)が人の寝ている間に天に昇ってその人の悪行を告げてしまうので、それを防ぐために夜通し起きているというもの。神道では「猿田彦」(さるたひこ)をまつっていた。日本神話で猿田彦と道祖神は同一視されており、このへんから道祖神と庚申が入り混じることとなる。
 道祖神には、悪いものは退散させ、好いものは先導する機能がある。このことから村境を守るという思想や道案内(道しるべ)の機能が生まれてくる。