テキスト ボックス: 交換規範の成立:分配規範と互酬規範

高木英至(TAKAGI, Eiji  埼玉大学教養学部)
NCC00521@nifty.ne.jp
キーワード:社会的交換、規範、進化ゲーム、コンピュータシミュレーション

【要約】 人間は社会生活の中で分配や社会的交換を行う。分配や交換を規定する基準は文化の中で規範として定着している。本研究はこうした文化要素(分配規範や互酬規範)の出現を進化ゲームとして説明できることを、コンピュータシミュレーションによって示す。


 行為者間の財(資源)のやりとりを規定する規範を交換規範と呼んでおく。社会心理学では通常、交換規範に相当する規則の存在を所与と考え、その規則が守られないとき(例えば不当な扱いを受けたときに)個人がいかに反応するかを研究する。他方、本研究が扱うのはその交換規範の出現をどのような根拠で説明できるか、である。

 上記のテーマの背後にあるのは、人間社会に文化として成り立つ規則や観念はいかにして出現するか、という一般的な問題である。この一般的な問題に対する筆者の視点は以下である。すなわち、行為者がそれぞれの戦略に従う状況を仮定したとき、文化的な規範は戦略の進化に基づく動的な均衡としてその存在が説明できる、という立場である(e.g., 山岸, 1998)。この立場を進化ゲーム論と呼ぶなら、この研究の課題は進化ゲームの立場から交換規範を均衡として導くことにある。

 交換規範が適用できる状況には大別して2種類がある。第1は協力の成果を個人間で「分配」する場合である。第2は、各自が所有する財を相互に与え合うような「社会的交換」である。そのそれぞれの事態における規範の成立について、本稿の視点からいかなる説明を提供できるかを以下で議論する。

 

分配規範:衡平と平等

次のような協同−分配のモデルを考える。エージェントは個人もしくは集団で成果獲得活動(例:狩猟)を行う。活動へのエージェントの貢献は自己の資源をどの程度活動に割り当てるかである。集団には多数の選択肢があり、それぞれの集団は成果の配分率(貢献資源と報酬の関係、例:平等)に差があると仮定する。エージェントの戦略はどの集団に属するか、および自己の資源からどれだけ貢献するか、である。シミュレーション結果は次の傾向を示した(高木, 1998; Takagi, 1999)

(1)より多くの成果を貢献の高い者に配分する規則は、集団間競争が強い、エージェントに危険回避傾向が欠如する、などの条件が揃うときに生じやすい。

(2)貢献に比例した成果の配分をする規則(衡平)は、危険回避傾向があり、集団間競争が厳しくはなく、資源保有に不確実性があるときに生じやすい(図1)。

(3)貢献にかかわらず等しい成果の配分を行う規則(平等)は、さらに高い資源保有の不確実性があるときに生じ得る。

(4)平等は社会的手抜きを招来するために支配的規則とはなりにくい。しかし低貢献者を排除する内集団志向性を伴って平等が進化する可能性がある。

 

 


互酬規範の成立


 分配規範とともに交換規範として議論されるのが「互酬規範(The norm of reci-procity)」である
(Gouldner, 1960)。互酬規範とは、自分に恩恵(被害)を与えた者には返礼することを指令する。互酬規範が社会生活のいろんな局面で成り立つことは古くから人類学や社会学で取り上げられてきた。互酬規範の普遍的な成立に強力な論拠を与えて来たのが Axelrod (1984) や数理生物学者による、囚人のジレンマ(PD)への進化ゲームの適用結果だろう。「協力」を「相手に資源を与えること」、「非協力」を与えないことと考えれば、PDは典型的な(2者間の)社会的交換のモデルとなる。エージェント間でPDが成り立つときにいかなる戦略が進化するかに関する現時点での結論は正確には複雑である。しかし協力志向のエージェントに対して協力する(社会的交換を行う)ような戦略が進化することは大筋の結論と考えてよい。この結論を前提にすれば、互酬規範は文化として成立する事象と見られているものの、その文化事象は進化ゲームの論理で出現すると推論することができる。

 しかし自分への協力者に協力することは互酬規範の1つの側面に過ぎない。協力する(資源を与える)か否かだけでなく、一般に社会的交換では「どの程度与えるか」が問題になる。そして互酬規範には「相手がくれたのと等量の資源を相手に与える」というニュアンスが含まれている。社会的交換におけるこの「等量性」の存在はどのように説明することができるだろうか? 以下のシミュレーションで検討するのはこの「等量性」の出現可能性である。

モデル 100のエージェントからなる社会のモデルを用いる。エージェント間に Giving Game を仮定する(高木, 1994; Takagi, 1996)。すなわち、各エージェントは一定量の資源を持ち、その資源を相手に分け与えることができる。筆者が以前に用いた戦略のうち、非協力戦略(常に誰にも与えない)とTFT戦略(自分に資源をくれる相手には与える)だけが選択可能と仮定する。

 この2つの戦略だけを用いたとき、TFTは5エージェント程度が存在すれば容易に他の非協力エージェントを駆逐できることが分かっている。が、この知見は、TFTにおいて与える資源量が固定されている場合である。今回のシミュレーションでは与える資源量が可変的と仮定している。

 各エージェントは交換戦略(非協力/TFT)以外に、最大供与量(他者に与える最大量)と最小受領量(自分が他者から受け取ったと考える最小の資源量)の、2つの追加的戦略次元を持つ。最小受領量(閾値)に満たない量の資源をもらっても、エージェントは「受け取った」とは考えない。他者の最大供与量と最小受領量がエージェントには分かる、と仮定する。さらに、エージェントは相手の最小受領量しかその相手には与えないと仮定する。また、自分の最大供与量を超える最小受領量を持つ相手は交換の対象から外すと考える。最大供与量と最小受領量は4水準(1〜4)からなり、2つの2値変数で表現している。

 このモデルはTFTが与える資源量を固定した場合とは次の2点で異なっている。第1は、TFT同士であっても2つの追加的戦略次元の値によっては交換は生じないことがある。第2に、与え合う資源量が異なる(片方が過大/過小に受け取る)交換が理論上は可能なことである。

 エージェントの戦略次元は初期状態で無作為化した。シミュレーションの1つのRunは500世代からなる。各世代の終りに「進化」が生じ、低利得エージェントの戦略が高利得エージェントの戦略に置き換わる(他のエージェントは次の世代も同じ戦略を継承する)。同時に戦略各次元には一定の確率で突然変異が起こる。1世代は200試行からなり、その世代でのエージェントの利得は各試行での利得の時間割引合計で表現される。

要因計画 シミュレーションは2要因計画(3×3)に基づく。初期比率要因(各世代の初期状態でTFTの比率が5%/10%/50%)と資源量要因(各エージェントが各試行で保有する資源量が4/10/20)である。9つの条件の各々で10のRunを繰り返した。

結果1:TFTの優越 以下、主に最終世代での結果を示す。条件ごとのTFT比率は96〜99%(全体平均は97.8%)である。TFTが全体をほぼ制圧している。有意な効果を持ったのは資源量要因だけであり(F検定)、資源量が4のときにTFTの度数が低く、最大供与量と最小受領量は小さい(SNK検定)。

結果2:交換戦略の進化 最大供与量と最小受領量のエージェント度数を、全条件を通してプールした結果を図2に示す。円の面積が度数を示す。図2から、その2つの戦略次元が一致した状態に落ち着くエージェントが多いことが分かる。




 Runごとの最大供与量と最小受領量を分析すると次の点が分かる。

(1)最大供与量と最小受領量はともに偏って分布する:TFTエージェントの中での2次元の各々の分布から適合度検定と同じカイ二乗を算出すると、最大供与量でも最小受領量でも有意水準(df=3)を大きく超える値が得られる(全Runの平均値はそれぞれ、74.0 と 118.4)。

(2)最大供与量と最小受領量は一致する傾向がある:どの条件でもこの2次元の値は一致していることが多い。一致率は全体平均で71.6%である。周辺度数を考慮し log(一致度数/一致期待度数) の指標をRunごとに算出してみた。「一致期待度数」とは両次元の独立を仮定したときに期待される一致度数である。この指標がゼロなら実際の一致が両次元独立のときと同じであり、正なら偶然以上に一致していることになる。どの条件でもこの指標の平均は有意に正である(t=3.7〜24.4, df=9)。

結果3:戦略ごとの棲み分け ここまでの結果は次のことを示す。第1に、このシミュレーションでは戦略進化が生じて最大供与量と最小受領量がRunごとに偏ること、第2に、その2つの量が一致する傾向があることである。個々のRunを眺めると最小受領量の最大グループ(多くは値2)ともう1つのグループ(多くは3か4)ができる。つまり、多くのRunで異なった2つのエージェントクラスタが仮想社会の中で共存している。

 次の分析から、Runの中で共存する集団の内部で交換関係が生じやすいことが分かる。つまり集団が付き合いの上で棲み分けしている。

 まず最小受領量の値の周辺分布から、最小受領量が同じエージェント間で生じる交換関係数期待値(無作為の関係形成を仮定)を求める。さらに実際に同じ値のエージェント間で生じた交換関係数を求め、log(F/E)を同類づきあい指標とする。同じ最小受領量の値のエージェント間の交換関係数が偶然から予期できる程度であれば、同類づきあい指標はゼロであり、同類づきあいの程度が偶然以上であればこの指標は正になる。同類づきあい指標はどの条件でも有意にゼロより大きい(t=15.1〜31.4, df=9)。つまり交換関係の多く(全体平均で85.8%)は最小受領量が同じエージェント間で生じている(前提から、その場合は同量の交換となる)。

 同類づきあい傾向は最大供与量について同じ分析をしても確認できる。しかしRunごとの同類づきあい指標はすべての条件で、最小受領量の方が有意に高くなる(対応検定)。つまりエージェント間の棲み分けは最大供与量より最小受領量に応じて生じていることになる。

まとめ エージェント間での社会的交換を許すシミュレーションにおいて、「どれほどまでを与えるか」、および「どれほどもらえば『受け取った』ことにするか」の基準の進化が観測できた。この進化は後者の基準についてより明確だった。つまりこれらの基準についてエージェントの社会の中で「文化」が発生したといえる。個々の社会の中では複数の基準(いわば下位文化)が共存しがちであったが、交換関係は同一「文化」を共有するエージェント間で生じやすかった。同じ「文化」の中では、互酬規範が指示するように、等量交換の傾向が進化している。

 ここに示したシミュレーション結果は、よく知られた交換規範が進化ゲームの論理から生成され得ることを示している。

 

引用文献

Axelrod, R. (1984) The Evolution of Cooperation. New York: Basic Books. アクセルロッド 松田裕之() 『つきあい方の科学』、1987、HBJ出版局.

Gouldner, A. (1960) The norm of reciprocity. American Sociological Review, 25, 161-178.

高木英至 (1994) 社会的交換のシミュレーション・パラダイム. 埼玉大学紀要、3023-55.

Takagi, E. (1996) The generalized exchange perspective on the evolution of altruism. In W.B.G. Liebrand, & D.M. Messick, (Eds.), Frontiers in Social Dilemmas Research. Berlin: Springer, Pp.311-336.

高木英至 (1998) 「分配正義の生成: シミュレーションによる分析」、 『日本グループ・ダイナミックス学会 第46回大会 発表論文集』、28-31.

Takagi, E. (1999) A simulation analysis of the emergence of distributive justice. Paper presented at the 8th International Conference on Social Dilemmas at Zichron Yaakov, Israel.

山岸俊男 (1998) 『信頼の構造』、東京大学出版会.