社会的交換に基づく権力の発生

 

                               高木英至(TAKAGI, Eiji)

 キーワード:交換,権力,コンピュータシミュレーション          (埼玉大学 教養学部)


[要約]社会的交換状況で、相手に資源を与えることなく相手から資源を得る能力を権力(power)と考える。この研究は、交換状況に相手を罰する可能性を導入するだけで、初期状態で強さの等しいエージェント間に権力の差が生じ得ることを計算実験によって示す。


 

 背景にある問題関心は社会の基本的秩序を成立させる論理を見出すことにある。ここに基本的秩序とは、一定の範囲のエージェント間に協力性・利他性が成り立つこと、規範が作用すること、などを指す。社会に権力が生じることもまた、こうした基本的な社会秩序の1つである。

 社会秩序の成立を説明する明確な方法はエージェント間の戦略的相互作用を経た動的均衡としてその秩序が成り立ち得ることを示すことである。この研究で用いるコンピュータシミュレーションは動的均衡としてある秩序が成り立つか否かを論理的に確認するための思考実験である。

 以下では次のような権力の成立経路を検討する。各エージェントは他者に協力(労働力の供与)をするか否かの意思決定に直面するとしよう。また、各エージェントは他者に罰を科することができると仮定しよう。さらに、他者の協力が得られれば、エージェントは強さ(科罰の基盤)を増大させると考えよう。このとき、社会的交換(協力の交換)によって他者から協力を得ることが出来たエージェントは強さを増し、科罰能力を高める。一度科罰能力を高めたエージェントは、その可ばつ能力によって、自ら与えることなく他者からの協力を得ることができるようになる。逆に初期に協力を得られず弱い立場になった者は、その協力者も一緒に強者から強い罰を受ける可能性があるため、ますます協力は得にくくなるだろう。こうした経路でエージェント間に権力差が生じるか否かを思考実験することが以下の課題である。

[同じ目的の計算実験は高木(1999、社会心理学会大会報告論文集)で報告している。しかし高木(1999)では次の2点が改善すべき点だった。第1は、エージェント間の交換が、当初想定した限定交換(reciprocal な2者間の交換)には、設定上、なりにくかったことである。第2は、当初予想した「脅し型」の科罰戦略(協力しなければ罰する)が析出されなかったことである。以下の分析は上記の問題に対処するために行なった第2の試みである。]

 

モデルの設定

空間 15×15の torus 状のセル空間を想定する。各セルがエージェントを表す。各エージェントはブロック距離3の範囲の24の他エージェントだけと相互作用する。

戦略 エージェントの戦略は科罰戦略と交換戦略の組である。科罰戦略は前回相手が自分に協力したか否かを手がかりに科罰する相手を指定する。相手が協力しなかったときだけ科罰することも可能であり(脅し型)、協力に関わらず相手に科罰する(あるいはしない)こともあり得る。交換戦略は相手の科罰戦略、相手と自分との強さの差(強/同/弱)によって相手を類別し、カテゴリー別に0(無条件に非協力)、1(無条件に協力)、2(条件付協力=相手が0か1なら協力)を割当てる。

交換 協力には程度はなく、協力か非協力だけが生じる。相手に協力を控えれば、エージェントの得点は1向上する。しかし相手から協力を得れば得点は2向上する。従ってエージェントペア間には協力するか否かのPD状況が存在する。エージェントが利己的に行動するなら協力は生じない。

強さと科罰 各エージェントは初期状態で等しい「強さ」の値(2)を持つ。が、他者からの協力を得れば、協力者の強さの半分の値(1)だけ強さを増す。罰は弱い相手に対してだけ科すことができる。科罰のコストは1、罰を受けるコスト(被害)は 5+|両者の強さの差| である。もし協力者があるなら、科罰コストの半分は当のエージェント、あと半分はその協力者が平等に分担する。罰の被害の半分は罰を受けたエージェントが引き受け、残り半分はその協力者が等しく分担する。

シミュレーションの構成 シミュレーションの1回の Run 500 世代からなり、1世代は200ラウンドからなる。1世代の終わりでエージェントの戦略分布の変化(学習)と突然変異が生じる。戦略分布の変化は、世代での合計得点が下位5%であったエージェントの戦略が上位5%のエージェントの戦略(からランダムに選んだ1つ)と入れ替わることである。突然変異は各戦略次元で等確率で独立に生じる。Run の初期状態では戦略の値は無作為化する。

 1ラウンドには交換局面と科罰局面がある。交換局面では交換戦略に従ってエージェント間で協力のやりとりが生じる。その際、戦略が参照するエージェントの強さは前ラウンドの強さである(最初のラウンドでは強さは平等)。交換局面での協力のやりとりに応じてそのラウンドでの各エージェントの強さが計算され、その強さが次の科罰局面で参照される。そのラウンドでの各エージェントの得点は、交換局面での得点と科罰局面での(負の)得点の合計である。

実験計画 シミュレーションは2(戦略要因)×2(科罰要因)の実験計画で実施した。条件ごとに10の Run を繰り返した。

戦略要因 戦略要因は、エージェントの戦略が単純か資源依存的かの2水準を持つ。単純戦略条件とは、科罰・交換戦略が記述の通りの構成の場合であり、エージェントの科罰戦略が2値の4次元、交換戦略が3値の12次元で成り立つ。資源依存戦略条件とは、単純な科罰・交換戦略の4倍の次元を持ち、最初の10ラウンドで適用される戦略、エージェントの得た協力が上位1/4のときに適用される戦略、獲得した協力が中間的であるときに適用される戦略、獲得した協力が下位1/4のときに適用される戦略に条件分化している。資源依存的戦略は、戦略分布を変化させる際でも、獲得した協力の類別内で優秀だったエージェントの同類別部分の戦略を受け継ぐように計算する。

科罰要因 科罰要因は、科罰可能性を導入した場合(科罰条件)と導入しない場合(科罰無し条件)の2水準である。どちらの水準でも、用いた戦略の構成は変わらない。科罰無し条件でもエージェントは科罰戦略を持ち、その交換戦略は相手の科罰戦略に応じて相手に協力するか否かを判断する。ただ、科罰無し条件では他者に実際に科罰することはない。

 

シミュレーション結果

 10の世代ブロック(1ブロック=50世代)を繰り返し要因として、1エージェント当りの与えた協力量の(世代を通した)平均、エージェントごとの与えた量と受取った量の相関係数(z変換後)を従属変数とした分散分析を実施した。戦略要因の主効果、戦略要因×科罰要因の交互作用効果は有意にはならなかった。効果を持ったのは科罰要因だけである。最終ブロックでの与えた協力量の平均は、科罰無し−単純戦略条件で 22.3、科罰無し−資源依存戦略条件で 22.1、科罰−単純戦略条件で 16.7、科罰−資源依存戦略条件で 15.2 だった。つまり科罰無し条件では与える量は低い。科罰条件での与える量の低下傾向は第6ブロックから生じている。エージェントごとの与えた量と受取った量の相関係数はエージェント単位で与える量と受取る量のバランス(相互性)が成り立つ程度の指標となる。最終ブロックでのこの相関の平均値(z変換前で表記)は、科罰無しの2つの条件でともに .93、科罰−単純戦略条件で -.04、科罰−資源依存戦略条件で -.17 だった。つまり科罰無し条件では交換に高度の相互性が守られている。対して科罰条件では相関は負になっており、多くを受取りあまり与えない、あるいは多くを与えながらほとんど受取らないエージェントが出現していることを表している。なお、科罰量の同様の分析(科罰条件だけ)でも戦略要因は有意な効果を及ぼさなかった。

 科罰無し条件での結果のパタンは図1で例示される。与える協力量は初期の世代で急速に上昇し、与える−受取る量の相関は終始 1.0 に近い数値を維持している。科罰条件での結果のパタンは図2が例示する。初期の世代では科罰無し条件と同様に、与える協力量は増大し、与えるー受取る量の相関も高い水準を維持する。しかし何れかの時点で与える量の平均と相関は急激に低下し、相関は負になる。(科罰無し条件の20の Run は何れも図1のパタンを示した。科罰−資源依存戦略条件では10の Run が図2のパタンを示した。科罰−単純戦略条件では8の Run が図2のパタン、2つの Run で図1のパタンとなった。)



   図1:科罰無し条件でのシミュレーション例




   図2:科罰条件でのシミュレーション例


 エージェントの最終世代での戦略パタンを分析した。次元の多い戦略であるため、戦略パタンはやはり複雑だった。大まかには次の傾向を観察できた。第1に、科罰条件では脅し型の科罰戦略(「私に協力すれば罰を与えない、協力しなければ罰を与える」)が最も優勢であり(図2のパタンを示した科罰−単純戦略条件の観測で50.4%)、その次に優勢だったのは無科罰戦略(同、36.0%)だった。他方、交換戦略では「俗物戦略(
slimy giving strategies)」、つまり相手が自分より弱ければ全く与えず、強ければ無条件に与える戦略が優勢だった。

 最終世代では次のようにして「権力の分化」が生じている。まず第1ラウンドではエージェントの与える量と受取る量はほぼバランスしている。しかし第2ラウンドで与える/受取る量が少ないエージェントが増え、以後、受取る量が多く(少なく)与える量が少ない(多い)エージェントが増えてゆく。初期のラウンドでの授受バランスのわずかな偏りが以後の強弱の大きな差を生み出す格好になる。ただし一定数のエージェントは多く与え多く受取る状態を維持している。

 

考察

 この計算実験の直接的な含意は、協力の交換が生じる状況で科罰の可能性を導入すると、ただそれだけで、一方では他者に与えず受取るだけのエージェントが、他方では他者からほとんど受取らずに専ら貢ぐエージェントが出現することである。社会的交換状況で与えずに受取ることが権力の現れであると解するなら、このシミュレーションが観測したのは局所的な権力の発生に他ならない。社会的交換は人間社会に普遍的な現象である。狩猟採集社会の時代から人間は社会的交換によってその存続を果たして来ただろう。ここで個人間のネットワーク(同盟関係)の偏りによって強さ(科罰能力)に差が出ると想定するなら、人間社会において権力が発生することは同様に自然な推論である。

 用いたモデルはエージェント間で相互的な限定交換が生じやすく設定してある。そのため、科罰条件下でも権力分化状態以外に、科罰せずに相互的な交換が優越する状態も別の均衡点だったと言える。つまり相互的交換への志向性の強さは権力の発生を抑制するよう作用する可能性がある。実際、交換戦略で2(条件付協力)の値を排除し、交換の相互性を低下させたシミュレーションでは、科罰条件で与える量と受取る量の相関係数は -1.0 に近づき、権力の分化が顕著になる。この点は、限定交換が生じるときより一般交換が生じる社会圏で権力差が生じやすいことを意味しているかも知れない。