旧東西ドイツ国境を挟む2つの都市ーホーフとプラオエンーの

中心商業地の比較研究

                     山本 充(埼玉大学教養学部)

1.はじめに

 第2次大戦後、東西ドイツは、異なる政治経済システムと都市計画のもとで、都市を形成してきた。ドイツ統一後、ふたたび同一のシステムの中にはいり、都市はどう変化しつつあるのか、また、国境の設置によって分断されていた都市間関係、都市システムが、国境が取り払われた結果、どう再編されつつあるのかは、興味深い課題である。  ここでは、旧国境地域の2つの都市、旧西独バイエルン州のホーフと旧東独ザクセン州のプラオエンをとりあげ、中心商業地の構造を比較することを目的とする。現地調査、資料収集は1993年8月に行われ、そこで得られたそれぞれの都市における中心商業地の業種構成と規模、周辺部商業地との関連、商圏の広がり、公共交通機関の実態などのデータを分析資料として用いる。

2.両都市の都市発達史

 両都市とも、19世紀後半以降、繊維工業によって経済発展と人口成長をとげた。プラオエンの人口は、1912年に 128,014人に達し、ピークを迎えたが、第2次大戦中の破壊と戦後の停滞を通して人口は減少した。ドイツ統一によって減少はさらに進み、1992年には、70,197人を数えるにいたっている。一方、ホーフは1900年代前半において4万人強の人口を有していたにすぎず、戦後の避難民の受け入れで1950年には61,033人にまで増加したもののその後は減少を続けた。しかし、80年代後半以降、特にドイツ統一後、旧東独住民の流入により人口増加に転じ、1991年現在、52,859人を数える。

3.中心商業地の形態と業種構成

 都市中心部の建築物は、プラオエンの方がより高層であったが、それは、戦前の老朽化した空き屋(2階以上部分)か、旧東独時代の住宅であり、ホーフにおける方が、商業機能、業務機能の立体化が進んでいた。  プラオエンでは、ここ2年の間に商店数が約2倍になったが、絶対数では、ホーフの7割であり、また、ホーフにおけるよりも都市中心部への商店の集中度が低かった。これは、旧東独の都市政策の影響と考えられる。1商店あたりの床面積は、ホーフの方が大きく、ホーフにおける大規模店の存在、2階以上の利用を反映している。業種構成を床面積でみると、ホーフにおいては、電気製品、家具などの比率が高かったが、プラオエンでは、食料品、日用品、衣料品などの比率が高かった。また、レストランやカフェなど、金融・保険、医療、法律関係事務所などは、明らかにホーフにおいて多くみられた。このような両都市の中心商業地の差異は、旧東西ドイツ時代の経済格差を反映していると考えられ、両都市が異なる機能を有してきたことを示唆している。  

4.交通条件と商圏

 ホーフにおいては、駐車場が整備されており、買い物客の自家用車への依存が高く、また、公共交通機関としてバスが利用されている。ドイツ統一後、ホーフの商圏は、旧東独のザクセン州、チューリンゲン州にも拡大したが、旧東独における商業の発達とともにふたたび縮小の傾向にある。一方、プラオエンでは、市街電車の利用が主で、駐車場の未整備から、中心商業地への自家用車でのアクセスは困難な状況にある。したがって、プラオエンの商圏は、プラオエン市内とその周辺にほぼ限られる。  ドイツ統一にともなう道路網の整備、自動車の急速な普及とともに、プラオエンの周辺部の主要道路沿いに、6つの大型ショッピングセンターが建設中ないし計画中である。郊外へのショッピングセンターの立地は、中心部における駐車場不足、不明瞭な土地所有関係にも起因していると考えられる。ホーフ周辺にもみられない規模のこれらの商業施設は、既存のプラオエン中心部の商店に脅威となるばかりでなく、整備された道路網を基盤に、ホーフの商圏から顧客を吸収する可能性も大きいといえる。ひいては、このことが、両都市の中心商業地や都市全体の商業構造の差異を変化させる一因になると考えられる。

5.おわりに

 このように、ホーフとプラオエンはそれぞれ異なる中心商業地の構造を有していた。同一の政治経済システムと都市計画の採用にも関わらず、こうした差異は将来にもわたって維持されていくのかどうか、興味深い問題である。また、中心商業地のみならず、郊外の商業地の動向、中心地階層の変化、都市内部の土地利用分化や人口・社会構造なども検討していく必要があろう。