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「広島修道大学社会学5教員の解雇処分の撤回を求める学者・文化人の会」会報

As a Sociologist for Human Liberation

No.6    1999531

 

編集人:福岡安則(〒338-8570 浦和市下大久保255 埼玉大学教養学部)

Tel & Fax: 048-858-3070

E-mail: fukuoka@post.saitama-u.ac.jp

URL: http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/index-j.html

郵便振替:加入者名=修道大5教員を支える会,口座番号=00170-5-547062

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(1) 高裁も不当判決――いっそうのご支援をお願いします――  世話人 福岡安則

(2) 修道大裁判にみる事件の本質  弁護人 松本健男

(3) 広島高裁判決の背景を問う――1つの差別事件と2つの差別ビラ――  広島修道大学教授 森島吉美

(4) A Court of Inquisition(侵犯の法廷)  Michael Fox (Hyogo College, Japan)

(5) 不当判決を許さない!  青木秀男

(6) 謝辞  江嶋修作

(7) カンパ御礼と会計報告  世話人 福岡安則

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(1) 高裁も不当判決

――いっそうのご支援をお願いします――

世話人 福岡安則

 

 1999330日,広島高等裁判所にて,広島修道大学社会学5教員の不当解雇処分の撤回を求める控訴審の判決が出されましたが,一審の「原告敗訴」につづいて,「控訴棄却」の不当判決でした。

 日本の裁判は,証拠に基づくといいながら,裁判官の心証主義が判決のシロクロを決定づけるものとなっています。かつて,19741031日に,狭山事件の東京高裁二審判決で,寺尾正二裁判長が控訴人・石川一雄さんを「有罪」――「死刑」から「無期懲役」に量刑は変更――としたとき,弁護人のひとりが「裁判長,ペテンだ」と叫んだことはあまりにも有名です。弁護人がそう叫んだのは,公判廷で,寺尾裁判長は,自分はこの間,部落問題についてはいろいろと本を読んで勉強した,だから,弁護側から申請されている証人を呼ぶ必要はないと,さも部落問題の理解者であるかの発言をし,弁護側に裁判長の「心証」は石川無罪にちがいないと思わせていたからです。今回の広島修道大学の解雇処分撤回のための第二審でも,これまで例のなかった“一審敗訴にもかかわらず給与仮払いの仮処分を認める”ことで,裁判官は控訴側に有利な「心証」を形成しているかのごとき印象を与えていたわけです。“ペテン”に近い訴訟指揮がなされたのではないか,との疑いを禁じえません。

 不当解雇された5教員のうち,江嶋修作,青木秀男,亘明志,福留範昭の4氏と,出勤停止処分を受けた金杉恭子氏が,上告して,不当処分の撤回を求める裁判闘争を闘いつづけます。なお,5教員のうち好井裕明氏は,控訴審の初期段階で大学側と「和解」し,本年4月から広島国際大学に職を得ております。

 日本の裁判事情からすると,上告審の闘いはこれまで以上に困難なものにならざるをえないわけですが,私たち「広島修道大学社会学5教員の解雇処分の撤回を求める学者・文化人の会」としましては,とにかくできるだけの支援をつづけたいと考えます。

 具体的には,ひとつは,せめて,5教員の上告審での裁判費用をカンパによって支えたいと思います。表紙に記載の郵便振替にて,支援カンパをお寄せくださるようにお願いいたします。

 もうひとつは,いまいちど,広島修道大学にたいして,不当解雇に抗議し処分の撤回を勧告するレターを集中したいと思います。海外の社会学者にも広く呼びかけたいと思っておりますが,国内のみなさまにも,ぜひご協力をお願いいたします。近年,インターネットが発達しましたので,この活動には,最大限インターネットを活用したいと思います。抗議レターは,e-mail にて,広島修道大学宛て送ってくださるようにお願いします。同時に,その写しを世話人の福岡安則までお寄せください。この「会報」に再録させていただきたいと思います。もちろん,大学宛ての抗議レターだけでなく,5教員への連帯・激励のレターも歓迎します。

 広島修道大学への抗議レターは,竹下虎之助理事長および市川太一学長宛てにお願いします。メールアドレスは,center@shudo-u.ac.jp です。

 抗議レターの写しまたは激励のレターは,fukuoka@post.saitama-u.ac.jp またはFax: 048-858-3070にお願いします。あるいは,郵便振替の「通信欄」に記載していただくかたちでもけっこうです。

 なお,この問題についての詳細な情報を多くの方に知っていただくために,世話人のホームページに,会報 As a Sociologist for Human Liberation の全号を,できるだけ早急に掲載したいと思っております。また,「会報」の発行の遅延でご支援いただいているみなさまに最新の情報が伝わりにくい点も,このホームページにその都度の情報を掲載することで,補完してまいりたいと考えております。みなさまには,ときどき,このホームページをご覧くださるようにお願いいたします。また,みなさまの友人・知人にこのホームページを見て,支援の輪に加わってくださるようにお伝え願いたいと存じます。

 日本語版URL: http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/index-j.html

 英語版URL: http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/index.html

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(2) 修道大裁判にみる事件の本質

弁護人 松本健男

 

1. 一昨年(1997年)5月,広島修道大学の森島吉美氏が来阪され,一審敗訴の件を知らされた。私は,事件が渦中にあった1990年春ごろ,同氏らから,修道大で異常な勢いで突出してきている差別文書問題について相談を受けたことがあり,そのさいに,社会学研究室の先生方に対してかけられている経理不正問題の攻撃があることを聞き,むしろそれに適切に対処することのほうが,緊急ではないかとの意見を述べた。その後,当事者である5名の方が来訪されたさい,なによりも大事なことは,公金の私的流用の事実がまったくないことを,至急こちら側で証明せねばならないこと,いずれにせよ,公金流用が問題となる場合には懲戒事件となることが必至なので,これを念頭に置いて対処されるべきことをアドバイスした。

 しかし,私の関与はその段階ではそこまでであり,その後の懲戒解雇に対する訴訟提起には関係していなかったが,ときたま森島氏からの連絡で,裁判の支援の状況などについて教えてもらうことがあった。しかし,そのときはじめて,有利に展開していたはずの裁判での敗訴を聞かされたのであり,同時に,控訴審裁判への参加を要請されたのであった。

 修道大事件は,大学の5名の教員の懲戒解雇事件という,わが国裁判史上前例のない事件であり,一審敗訴後の控訴審審理に関与することは並々ならぬことだとの認識はあったが,このまま放置できないという事情のなかで,一審以来担当してこられた外山佳昌,山田延廣両弁護士とともに控訴審訴訟を担当することになった。

2. 訴訟団事務局を務められていた青木秀男氏宅を訪れ,事件の内容について,江嶋修作氏,青木氏らと夜を徹して話し合ったのが最初だったと思うが,控訴趣意書作成のために,かなりの量の訴訟書類と取り組むことから始めねばならなかった。多くの論点があったが,私としてはなによりも,本件解雇理由とされている経理不正(経費の流用)問題について,その真相を確かめることが最重要だと考えて取り組んだ。

 本事件にはきわめて大きな背景事実があったが,それは一口にいえば,大学教育のなかに部落解放の課題をどのように位置づけ実践するかにかかわることであり,これをめぐって,当時,大学内において社会学研究室に結集していた江嶋氏を中心とするグループの運動理念と活動に対して,これに反撥して部落解放運動の理念と組織を大学から排除しようとする党派勢力との対立が激しくなっていた。そして,反対勢力はその目的を達成するために,江嶋氏らに対する中傷を強化し,「同和」教育委員会の中心部分である社会学研究室グループをなんとかして追い落とすという策動に専念していた。

 そのために悪質極まるデマビラを大学との関係企業や広島県内の高等学校に郵送で送りつけるなどの嫌がらせが何回も行なわれ,また,法学部教員有志一同名義で,「ここ数年本学では,人権・同和教育を唱えるグループが,大学の行政を支配し,予算・人事を自分達の好きなように動かしています。これに不服をいう者は,差別者のレッテルをはられ,不当な糾弾を受けています」などと記載したビラが,大学関係者に大量に配布されるなどした。険悪化したこうした状況のなかで,社会学研究室グループの学内活動において,大学の規則などに違反するところがないかどうかについての隠微な内偵が行なわれ,そのなかで,同人らに公金の不正流用の疑いがあるのではないかとする情報が,研究室に事実上の専属職員として勤務していた前田輝美職員によって持ち出され,マスコミに売り込まれることによって,1990222日,各新聞によって社会学教員が実習費を私的に使い込んだとする不正疑惑報道がなされ,これをうけた大学当局側の大掛かりな調査委員会などの活動を経て,同年109日に5名の懲戒解雇処分が発令されるに至ったのである。

 大学当局が最終的に社会学教員にあるとした不正行為は,カラ出張,カラアルバイト,カラ領収書による実験実習費(社会学の場合,実際には社会調査実習費)の私的流用とされた。したがって,問題はこのような経理不正が社会学教員によってなされたか否かにしぼられた。

 しかし,残念なことであるが,社会学研究室の教員諸氏には,公金を不正に,すなわち私的に流用したなどとの事実がまったく存在しないことが自明の事柄であったため,その事実を強調すれば足りるとする考え方が先行した。このため,当局によって具体的に指摘されているカラ出張などの不正行為の具体的態様と具体的に責任ある行為者が誰かについての点検が不充分なままに,また,具体的に行為者を特定してゆくことが,これまで進めてきた社会学研究室の統一と団結に悪影響を与えはしないかとの危惧によって,事実の存否についてやや不明確な態度をとるとする立場を,当初から払拭しないままに推移したという欠点があった。このことは,本件懲戒解雇処分の基本的本質は,前記したとおり,同和教育,人権教育に真剣に打ち込み,現在においても生き続けている部落差別を根絶するために教育者として何をすべきかという,ぎりぎりの教育的良心を持ち続ける諸氏らを中心とする教育者集団を大学から追放し根絶することにあったのであるから,問題となる経理不正について,グループ教員全員にその責任があることを基本的前提として解雇理由が構築されようとしていたことに対する認識の弱さがあったことを指摘しないわけにはゆかない。

 この点について記録を検討してみて私自身が感じたことを述べるならば,たとえばカラ出張は,理由はともあれ,実際に出張しないのに出張したことにして旅費を受領する行為であるから,経理上の不正であることは明らかであるところ,これがなされたのは,1988年と89年に数回にわたって,当時の研究室の実験実習の責任者となっていた好井裕明氏が,なんの実体的根拠もなく,抽象的に大学の実験実習費予算では学生たちに対する充分の実験実習がやれないのではないかとする誤った判断の下に,前記前田輝美に命じて,架空の出張旅費の請求手続を行なわせ,これによって取得した金員を社会学研究室の運営資金として保管させていたものであり,その回数は,88年に4回,89年に4回であるが,江嶋,青木の両氏はこれにはなんの関係もなく,ただ亘明志,福留範昭の両氏が出張予定としてその日を開けておいてほしいとの申し入れをうけて,これに反対せずに放置していた事実が,88年と89年に各1回あてあったにすぎなかったのである。したがって,カラ出張による公金の不正取得(個人的取得ではなく,社会学研究室が管理する資金としてであるが)について,明らかな責任があるのは,好井氏と,その指示によって出張申請手続をなし,その出張旅費を受領して保管した前田職員の2名であり,江嶋,青木両氏についてはまったく無関係であり,亘,福留両氏については各2回について消極的な態様での責任が認められるにすぎない。また,この点において,前田職員との共謀によって社会学研究室教員の排除のための工作に重要な役割を果たした鄭暎恵講師については,同女自身の積極的意志にもとづいてなされたカラ出張(東京)が1回あるにもかかわらず,同女は前田と同様,3日間の出勤停止処分にとどまっているという問題がある(前田は出勤停止5日)。

 ただし,残念なことには,社会学研究室の諸氏には,大学は実験実習費の無用な使徒費目の制限を撤廃すべきであるのにこれをせず,その懈怠によって実験実習を受ける学生の期待を裏切っているから,これを是正するためにした行為にとどまるかぎり,カラ出張といえども制裁事由たりえないとする,法律的とはいえない正当化の考え方があったように思える。したがって,5名の連名で裁判所に提出した意見書にもそうしたニュアンスの文章が見受けられるが(たとえば,199199日付陳述書,「カラ出張は,調査実習費で必要な経費を準備しておく為に,社会学調査で半ば慣例として行なわれている処置として行なったものである」),これは教員側の責任事由を血眼で探していた当局側にとってきわめてありがたい主張ではなかったかと思われる。たしかに第一審において主張した実験実習費の使徒費目の流用(やりくり)論に,一般論としては妥当性のあるものがあるし,また,現実の実験実習において,とくに1986年以前の費用自体が不充分であった当時に,内規上は認められない引率学生の宿泊費や食費などを費目の拡大適用によってまかなってきたとの妥当な経過もあったことは事実であったが,好井氏が個人的判断によって前田にやらせた88年,89年の段階でのカラ出張は,実験実習の内容を維持してゆくための使徒費目の流用という従来の建設的な考え方に即応する実体的要件は欠如していたというべきであるから,大学側が主張する懲戒理由のうちで,否定しえない部分についてはこれを非として認めた上で,しかし,そのことによって懲戒解雇という前例をみない処罰が合理化される根拠はないこと,とくに非が認められる行為にまったく関与していない,あるいはきわめて消極的,受動的に関与したにすぎないものに対して,これが合理化されるのかについて,もっと徹底した分析と対処がなされるべきであった。

 したがって,問題の焦点は,大学側が問題とするもののうち,非は非として認めたとしても,なおかつ社会学研究室教員の懲戒解雇に該当する事由としてはまったく成立しえず,実質的には諸氏らを大学から追放しようとする一部勢力の思惑がすべてであることを,もっと明確に打ち出すべきではなかったかと思われるのである。また,たしかに社会学研究室の教員相互に強い連帯意識があったとしても,少なくとも当局側に指摘されたカラ出張については,全員の協議や確認があったわけではまったくなく,誤った個人的見解にもとづいて行なわれたものであることを,懲戒解雇処分のなされた段階で,関係者全員による充分な討議によって明確にしておくべきではなかったかと考える。

 この点が不充分であったこと,つまり,問題とされる点があるとしても,特定の個人の責任にすることは統一体の理念に反するから,それは全員の合意にもとづいて実施されたことにしようとする誤った考え方が一部容認されたままに推移したことが,一,二審判決の,主導者江嶋を中心とする共同実行行為との根拠のない結論の根拠として悪用されたのではあるまいか。

3. しかし,こうした欠点はあったとしても,修道大学当局による5名の社会学研究室教員諸氏に対する懲戒解雇処分はまったく常軌を逸したものであり,この解雇の不当性,違法性を看過した一審判決がいかに偏見にとらわれた,杜撰きわまりないものであることが,記録を精査していくことによって明らかとなってきた。そして,このような極端に誤った結論を導き出すために一審判決が依拠しているものが,経理不正問題の中心的な実行犯である前田輝美の,事実の歪曲と捏造にあることが疑問の余地なく浮かび上がってきた。私は,控訴審での準備書面において前田による事実の歪曲と捏造を暴露するとともに,客観的証拠にもとづいて,前田がいう経理不正と社会学研究室諸氏との実際の関連性の欠如についてかなり適確に論じた。しかし,事態はまったく別の方向に展開していった。

 前田職員が社会学研究室の専任として仕事を始めるのは,1987410日である。前田の供述によると,赴任早々の時期に,同女は,江嶋教授から,きちんと表と裏の二種類の帳簿をつけるように指示されたが,当初江嶋氏に心酔し,なんの疑問も感じていなかった。ところが,1988年,新任で赴任してきた鄭暎恵教員と付き合うようになって,同女から江嶋氏らに対するきびしい批判を聞くようになり,また,同和教育を受けている学生たちの反応によって江嶋氏らの教育のあり方に疑問を抱くようになった。さらに,学生によってなされた90人署名によって学生が公然と批判の声をあげたことに強い衝撃をうけ,江嶋氏にいわれて付けてきた帳簿についても疑問を抱くようになり,鄭の紹介でRCC記者藤田にこれを見せたところ,大変だといわれ,ついに思い切ってマスコミ3社に帳簿のコピーを渡すことになった,としている。これにもとづいて,各新聞によって社会学教員が実習費を不正に使い込んだとの報道がなされたのである。前田は従来から同様の供述を繰り返してきていたが,今回の控訴審での結審直前での証人尋問のさいに提出した陳述書において,あらためてこのような経緯を記載して提出した。

 前述したように,私は本件懲戒解雇事件の中心的争点は,前田が社会学研究室諸氏に責任があると主張している経理不正行為について,諸氏が真実にどの程度に関与しているかだと考えていたため,証拠全部を精査し,私なりの結論を導き出していた。これによると,諸氏がなしたとされている経理不正のうちで,責任が認められるのは前述したカラ出張への一部の関与のみであり,カラアルバイト,カラ領収書については,前田職員が個人的な思い込みによって,教員諸氏からの指示のないまま自分の判断だけで行なったもので,控訴人諸氏の責任に転嫁することはまったく不可能であった。そして,控訴審で行なわれた江嶋,青木,亘,福留各氏の本人尋問において,これらの点がさらに明確になっていたため,控訴審判決においては,一審判決がなしたような証拠を離れたまったく恣意的な責任認定など到底なしえないだろうとの判断を抱いていた。したがって,大学側が控訴審において唯一の証人尋問として前田輝美を申請してきたのに対して,その機会に前田に対する適確な反対尋問を行ない,前田の虚偽の供述をなんとしても粉砕することに意欲を燃やしていたし,実施された前田証人尋問において,その目的をほぼ達成したと考えていた。しかし,少なからず驚いたのは,証人尋問に先立って提出された前田の陳述書には,控訴人諸氏にかかる経理不正の責任への関与の記載がまったくなく,その全部が江嶋氏らの大学内での活動に対して不信感を生じた経緯と,同氏らに反対の立場をとることによって生じるかもしれない事態への恐怖,不安感の表明だけであることについてであった。いま思えば,大学側の弁護士は,経理不正問題にかかる私たちの反論を点検した結果,控訴人らに経理不正への関与があったとする具体的根拠を論点にすることを意図的に外し,江嶋氏らを学内から排除することが修道大学の管理運営上不可欠であったことにしぼって,裁判所にこれに沿う判決をさせることが唯一の途であると判断し,前田がそのための役割を果たすことを期待したものであったことが,明らかである。

4. ここで,今回の控訴審判決の内容について検討してみよう。

 控訴審判決はじつに薄っぺらなものであり,その事実認定の全部を一審判決の認定に譲っているが,一審判決を前提としながら,さらに若干補足している部分がある。

 前記したように,前田は就任早々の時期に,江嶋氏から表と裏の二種類の帳簿をつくるように指示されたと主張している。しかし,前田帳簿は一冊のノートの初めの部分に,大学から受領する実験実習費の収支を記帳し,そのあとに,社会学研究室での現実の入金と出金を記帳したものであり,会計の記帳としては収支の内訳を記帳しているだけのごく当たり前のものにすぎず,表,裏の二重帳簿と考える余地はまったくないものである。そのあとの部分を前田はプール欄としており,同女の手許に入った金員と出た金員を記述しており,判決ではここに記帳されている金員を社会学研究室の教員が自由に使用していたとしているが,プール金の収入としては,控訴人らが実験実習のために大学院生を助手として伴っていった場合,マイカーを利用して交通費を節約するなどによって,院生が自発的に,支給された旅費を個人の旅費として受領せずに研究室の運営資金として提供した金員(寄付金)だけでも,約60万円が前田によって保管されていたのであり,いかなる意味でも不正な金員でなかったことは明らかである。もっとも,カラ出張の申請にもとづいて前田が受領した旅費については,たしかに不正な収入金といえるが,これは前述したように好井氏が独断的に前田に指示したことによるもので,その時期は19887月以降のことであり,江嶋,青木両氏にかかるものはまったくない。しかるに,判決は控訴人らが克明に主張したこれらの点をまったく無視し,前田が二重帳簿をつけるように江嶋先生からいわれたとの供述だけにもとづいて,控訴人らが個人的に勝手に使用するために裏金であるプール金を前田に保管させていたものと断定しているが,プール金はカラ出張分を除き,まったく問題のないものであり,また,控訴人らが前田に指示して支出させたのは,いずれも社会学研究室の運営のなかで必要と考えられたものだけであって,好井氏を含め,控訴人らが個人的な目的のために前田にこれを支出させたごとき事実はないのである。判決は江嶋氏についてプール金から支出させた項目を羅列しているが,そのどの項目も,これをみれば一見して明らかであるように,集中講義にきてくれた講師の歓迎会のさいの不足金(1万円)の補填とか,同和問題アンケート調査の打ち合せのための高速道路料金であるとか,そのさいの夕食代(11,000円程度)であるとか,金額的にもわずかであり,プール金自体が前記のように,実験実習の教育活動に参加した院生の拠出金などによるものであることを考えるならば,これを研究室の運営のために使用することを不可とするいかなる事情もないのである。また,江嶋氏について判決が指摘するプール金の使用についてみるなら,その時期との関係においてカラ出張による入金はいっさい含まれていないのであって,判決が江嶋氏の責任を認定するにあたって,いかに証拠を無視しているかが明白である。

 なお,判決は,青木氏について(同氏は19879月から889月まで調査研究のためにフィリピンに滞在していた),8811月,前田に対して千葉へのカラ出張を指示したとしているが,これは前田が理事会調査委員会における長時間の調査のさいにまったく述べていなかった架空の事実であることが明らかであるにもかかわらず,同氏が調査委員会の調査のさい,好井氏の立場を弁護するために,カラ出張を経費を浮かすためにやったことは最初から話していると発言したことをとらえて,「青木は控訴人らによる計画的,組織的かつ継続的なカラ出張等によるプール金作出と自身のカラ出張への関与を自認しているものというべきであり,これを否定する控訴人青木の供述ないし陳述も,自らの責任を回避しようとする意図に出た以外の何ものでもないというほかない」として,カラ出張をしたとする事実無根の認定をした。青木氏については,前述した,教員諸氏にみられる事件の本質に対する討議不足による事実認識の誤りが,とりわけ露骨にマイナスとなったといわねばならない。

 その余の点についても,判決は,控訴人らの証拠にもとづく主張に対して,基本的に主張自体を問題としない態度に出ており,結論として,「前田が勝手にやったことだとか,控訴人らを貶めようとしたとか,一部教員グループの策動によるものだとか,言い逃れや強弁をして,その責任を他に転嫁することに終始し,自らの行動に微塵も反省の色を示さなかったことが認められる」として,控訴人らに対する露骨な敵意を示す判断を下している。そして最後に,前田がマスコミに前田帳簿を交付したのは,大学内部での自浄作用に期待を繋ぐことができないと考えたからだとし,わざわざ,控訴審においてまったく問題としていなかった新谷法学部助教授に対する江嶋氏らによる糾弾を取り上げ,新谷の陳述をそのまま,まったく吟味することなく長文にわたって引用し,江嶋氏らがきわめて無法なことをしでかし,大学当局もこれをまったく抑止していないとの,とくに江嶋氏に対する,常軌を逸した,敵意そのものというべき見解によって,前田の諸氏に対する誹謗中傷工作を是認する態度を示している。

 しかし,新谷助教授が,学内で起こった悪質な差別問題についてこれを取り上げること自体が認められないとの態度を固執していたことを含め,何が問題となっていたかについて,ここではまったく問題としておらず,江嶋氏の発言(不正確であり誇張されている)だけを問題として取り上げ,江嶋氏の排除を目的とする本件懲戒解雇が正当であることを,本来の解雇事由とまったく無関係に露骨に打ち出しているのである。判決のもつおぞましさは,ここに極まっているというべきである。

5. 江嶋,青木,亘,福留の4氏ならびに金杉恭子氏にとって,今回の判決は一審判決にもまして不正であり犯罪的とさえ考えられたにちがいない。

 本件処分にかかわった大学当局ならびにこれを追い込んだ一部の党派勢力にとって,今回の判決は,不当な差別をうけている人たちの人権回復のために真に役立つ教育を実践しようと決意している控訴人諸氏を大学から追放するという結果に即応する判断を獲得した点において,同人らの政治的立場からみれば,えがたい政治的勝利であったと思われる。部落解放と人権擁護のために精一杯の努力を払いながら誠実に大学教育のあり方を模索してきた江嶋氏らにとって,司法権力による過剰な攻撃は予想を上回るものだったと思われるが,教育における正義の貫徹がいかに困難であるかがここに示されたと考える。この判決に対して江嶋氏らは直ちに上告(あわせて上告受理申立)の手続をとった。

 裁判の舞台は一応最高裁に移ることになったが,ここでの闘いがさらに困難であることは周知のとおりである。しかし,困難だからといって闘いを放棄することは許されない。ここで問われるのは,やはり不当極まる政治的事件に対して最終的に勝利をかちとることの重要性である。そのためには,修道大事件の一,二審判決の根源的な誤りを,法律的にも,社会的にも,徹底して暴露し,これを社会的に葬らねばならない。私としては,今回の敗訴の責任者の一人として,自分の力の許すかぎり,最大の人権侵害の被害者である4氏の大学復帰のために努力をしてゆく決意を噛みしめている。

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(3) 広島高裁判決の背景を問う

――1つの差別事件と2つの差別ビラ――

広島修道大学教授 森島吉美

 

1. 偏見に満ちた広島高裁「判決」

 広島高裁「判決」は,前田輝美職員が「帳簿」をマスコミに引き渡した経緯について,「江嶋は学内で一番の権力者であったため,……大学内部での自浄作用に期待を繋ぐことができないと考えたからだ」と断定し,今回の解雇劇の首謀者の一人新谷助教授(当時)がいう「リンチ事件」をまともに受け取り,江嶋氏をはじめ「同和」教育委員会の差別事件への真剣な取り組みを,大学に対する威嚇であるとまで言いきっている。

 この視点に立って,「社会学疑惑事件」がマスコミによって引き起こされた事実も,学内の「調査委員会」の一方的調査も,懲戒処分の手続きにおける就業規則違反も,すべて正当化されていく。そして,裁判の審理のなかでの原告の主張は,逆に,すべて「言い逃れ」と決めつけられることになる。

 前田職員がいう「江嶋権力者像」,新谷助教授がいう「江嶋威嚇者像」とは,いったい,どこからくるのか。かれらが作ったその「デッチ上げ像」を,いまいちど検証しておこう。

 はたして,当時,江嶋氏が置かれていた学内の立場が,学内の「権力者」であり,大学に対する「威嚇者」たりえたのだろうか。

 彼は,当時,大学評議会のメンバーであり,人権問題委員会の副委員長であった。差別事件が起これば,当局側としてその差別事件に対処する役目を担っていた。

 そして,「社会学疑惑事件」が起こった半年前に,大学においては,「821差別落書事件」という前代未聞の広域差別事件が起こっていた。

 それへのかかわりにおいて,江嶋氏が前面に出て活動していたのは事実である。

 しかし,それは,あくまで大学の社会的責任をまっとうする義務を負った大学側に立ってのことであり,大学に敵対してのことではなかった。

 それでは,ここで,当時を具体的に振り返っておこう。

 

2. すべての始まり:「821差別落書事件」

  死ね

 ×××× チョウセン

       ↑

      エタ 非人

   註:××××は広島修道大学卒業生の名前

 

 上のような「差別落書」が,1989821日に,修道大学内男子用5ヵ所のトイレで,825日には,あらたに2ヵ所の男子用トイレで発見された。大学内で発見された場所は計7ヵ所。

 また,同年96日には,修道大学内と同種の「差別落書」が,JR西日本管内の広範囲の駅構内のトイレにおいて,さらに,中国電力社内のトイレでも発見されていたむね,部落解放同盟広島県連合会から報告があった。その場所,じつに総数27ヵ所。

 その後,広島駅ステーションビル内2ヵ所の男子用トイレにおいても,同じ「差別落書」が発見された。

 落書で名指しされた学生の名前から,「差別落書」の行為者が修道大学法学部在学中の学生であることが,職員の手によって突き止められた。

 広島修道大学が抱える前代未聞の広域差別事件となった。広島修道大学は,その影響を広範に与える差別事件の加害者となってしまった。

 

3. 差別落書の中身:事件の発端

 落書行為者Aは,前年の学年末試験のおり,学生Cとのあいだで座席をめぐって口論となり,CAを殴った。殴られたACを恨み続け,数ヵ月後,Cを攻撃するために差別落書を書くことを企てた。ところが,そのさい,ACの名前を同姓のBと取り違え,Bの名前を落書に書くに至った。ACは当時本学在学生,Bは本学卒業生であった。

 当時,修道大学法学部在籍の学生Aは,Cに復讐することを目的として,大学構内,広島市内,近郊の駅構内に「差別落書」を書きまくった。

 広島修道大学は,当然,その社会的責任を問われることになった。

 

4. 大学の取り組み

 立川昭二郎学長(当時)が病気入院中であったため,北西法学部長(当時)を仮議長として,緊急運営会議,拡大運営会議(運営会議のメンバーと各部局長からなる)が開かれ,差別落書事件に対する対策会議がもたれた。そこで決まったのは,つぎのとおりである。

 

決定事項

@ 学長告示により,全学に差別落書事件に関する事実報告がなされる(829日)。

A 95日,JR西日本,中国電力,県民生部,部落解放同盟広島県連合会委員長との緊急会議に出席する(これは,広島県からの要請に基づく)。

B 学生ABCへの対応は「同和」教育委員会委員長森島(当時)が,対外的対応は人権問題委員会副委員長江嶋(当時)が,当面当たる。

C 運営会議は,「広島修道大学差別落書事件に関する中間報告」(差別事件に対する総括文)を作成する。

 

5. 学生ABCへの対応

 911日に,北西法学部長,「同和」教育委員会委員長森島,同委員であり学生部相談室カウンセラーでもあった田嶌氏が,A宅を訪問。

 Aとその両親に会う。高校時代から大学にかけて,Aがいかに心理的・精神的に不安定な状況に置かれていたか告白される。とくに,高校時代のAの置かれていた心理的に不安定な状況,彼への高校の対応の不充分さが訴えられる。Aの心理的・精神的不安定さは,会ったときすぐに見て取れた。彼が「差別落書」の実行行為者であることを告白した後は,彼を心理的・精神的に立ち直らせ,もう一度大学に復帰させるための取り組みをすることを,大学と彼の両親とのあいだで確認する。

 当初,Aの両親は,Aに対して半ば諦めの心境であった。Aは,それまでにも,いろいろな事件を起こしていた。両親の手におえない事態が進行していた。たとえば,広島市内の繁華街で,キーをつけたまま駐車していた暴力団関係者の高級外車を勝手に乗り回し,追い駆けられ,衝突事故を起こした後,捕まる,といった事件などを起こしている。常識では判断できない部分をもった学生である。だから,Aへの取り組みは,難航をきわめた。

 Aが心理的・精神的安定を取り戻すために,田嶌氏が治療に適する病院をさがし,Aは入院することになった。彼の入院中,何度も森島と田嶌氏が彼を見舞った。Aが自分のやったことへの「反省文」を書いたのは,その病院に入院中であった。

 BCへは,中川商学部長(当時)と森島が訪ねていった。

 Bへの対応は慎重を要した。彼は被差別部落出身でもなければ,在日韓国・朝鮮人でもなかった。なにも関係がない彼の名前が「差別落書」に書かれ,それがJR呉線各駅の公衆トイレで発見されたのであるから――彼の住まいは,周囲に被差別部落を抱え,在日韓国・朝鮮人が多く住む坂町にあった――,彼自身と彼の両親の怒りは明らかであった。しかし,その怒りが「部落と間違われる,在日韓国・朝鮮人と間違われる」という次元のものであれば,その「怒りの間違い」も指摘せざるをえなかった。B一家はそれを理解した。

 Cへの対応も困難であった。

 彼にしてみれば,差別問題という「やっかいな問題」に巻き込まれたという感は拭えなかった。説得と説明が続いた。そして最後には,「Aのためには,自分が名乗り出て,彼に殴られてもいい」とまで言った。彼の一家は,Aのために,大学に全面的協力を約束した。

 ここに至るまで,当時の北西学長代理をはじめ学部長クラスの教授はもちろん,「同和」教育委員会に所属する多くの教師,事務職員が,深夜を越える時間までかかわり続けていった。徹夜になることも何度かあった。この事件にかかわった多くの教職員は,大学の社会的責任,とくに広範な差別事件を引き起こした大学の責任をとるために,一生懸命であった。

 大学の社会的責任を果たすための努力が続けられていった。

 

6. 対外的対応

 広範囲にわたる差別事件を引き起こした社会的責任は,事件の当事者の学生たちへの取り組みだけではすまない。差別落書を書かれることによっていちばん実害を受けるのは,その被差別当事者である。大学としては,当然,全力を上げて責任を果たす行動にでた。

 「差別落書」の中身から,その被差別当事者が作る運動団体,在日本大韓民国居留民団(民団),在日本朝鮮人総連合会(総連),部落解放同盟広島県連合会への事実の報告,ならびに取り組みが開始された。

 また,広島県民生部および県教育委員会から呼び出しを受け,事実の経緯と取り組みの経緯の説明を求められた。その対応は,杉之原人文学部長(当時)が中心となった。県へは,北西学長代理と一緒に江嶋氏が同行した。大学の事件への対応についての説明はもっぱら江嶋氏がおこない,県側は一応の納得の姿勢を示した。

 杉之原学部長より命を受け,915日に,民団へは江嶋,福留の両氏が訪問し,総連へは江嶋氏と森島が赴いた。大学側のそれまでの取り組みと今後の取り組みの姿勢を示すことで,一定の了解を得た。

 また,Aが安芸津町に住み,彼が通っていた高校が呉市に存在し,「差別落書」が呉線一帯で発見されたことから,竹原市,安浦町,安芸津町の被差別部落,とくに部落解放同盟の支部には,江嶋氏が,呉の支部には森島が,それぞれ,取り組みの経過報告に行った。また,彼が通っていた呉の高校には森島が訪問し,高校時代のAの様子を聞き取りした。高校時代の先生のなかには協力を惜しまない先生もいた。

 結果的には,各々の運動団体から,差別事件への大学の対応に対して一定の評価をもらい,取り組みは大学に任せるということになった。県教育委員会などからも一定の取り組みへの約束とともに,大学の自主的判断に任せるという答えをもらった。それに至るまで,連日,深夜遅くまでの取り組みが続いた。

 

7. その後の大学の取り組み

 914日に運営会議の諮問機関として「差別落書事件対策委員会」が設置され,919日,運営会議において,「差別落書事件対策委員会」からの「中間報告」が,大学の「中間報告」として確認される。

 この「中間報告」は,県や各当該の運動団体との今後の取り組みにむけた約束事項に則って作成されていったものである。この作成にむけても,深夜遅くまでの作業が連日続けられていったことはいうまでもない。

 ところが,10月の法学部教授会において,その「中間報告」が否認される事態となった。大学の社会的責任をまっとうするため,落書行為者Aが再び大学に戻ってくるための取り組みをしているなかでの出来事である。しかも,Aは法学部の学生である。

 914日の全学教授会での事実報告の場において,「そんな学生は退学にすべきだ」とまでいう教員がいるなか,Aの大学復帰にむけてこの差別事件に取り組むことを決定した大学当局は,法学部の対応に苦慮した。とくに,学長代理を兼ねていた北西法学部長の努力は,大変なものであった。

 結局,11月の法学部教授会において,「中間報告」が認められることになった。

 

8. 学生の反応

 当時,学友会(全学生の組織,イデオロギーにもとづく党派性などまったくない組織)のなかに,今回の差別事件にかかわって人権委員会が作られていたが,その委員の学生を中心として,部落解放研究会の学生,韓国からの留学生などが,大学の取り組み,とくに法学部の姿勢に対して,不信感をつのらせていった。

 学生たちと法学部教師とのあいだで何度も話し合いがもたれていった。その話し合いのなかで出てきたのが,新谷助教授の発言であった。教師たち個人の意見を聞かれるなかで,「821落書の中身が差別かどうか,言う必要はない」というものであった。

 法学部の学生が引き起こした広範囲な差別事件に対して,全学をあげてその社会的責任に応える取り組みをしている最中の出来事であった。法学部の教師が「関係ない」と答えたわけだから,その話し合いに出席していたすべての学生たちが,その無責任な態度に対して怒った。

 とくに,被差別当事者の学生のなかには,またAが差別落書をどこかのトイレに書くのではないかと心配し,広島市内の駅を毎日見てまわっていた者もいた。新谷助教授に対する怒りは,だから,非常に強かった。新谷助教授は,学生側の真面目な質問に対して,揶揄するかのような答えを繰り返していた。

 

9. 学外の動き

 「民族差別と闘う連絡協議会広島」(民闘連広島)が「差別落書」をめぐって大学との話し合いを求め,大学を訪問する。厳しい追及が続いた。北西対策委員長が会って,大学の取り組みは,民団,総連と正式に話し合っているので,個々に対応できないむね伝える。

 今回の解雇劇では終始大学側で解雇を画策してきた鄭暎恵講師(当時)は,当時,「民闘連広島」のメンバーの一人でもあった。彼女は,いたるところで,勇ましい発言を繰り返していた。この「差別落書」をめぐって学外の運動団体が学内に話し合いを求めてやってきたのは,この「民闘連広島」のみであった。

 11月になって,「全国部落解放運動連合会」(全解連),日本共産党,法務局が,あいついで大学にやってきたが,彼らが主に問題としたのは,「同和」教育委員会の差別問題への取り組みのあり方をめぐってのことであった。つまり,彼らの訪問は,大学の教育・研究に不当介入し,「『同』教委の差別問題への取り組みは偏向している」と攻撃することによって,大学当局と「同和」教育委員会の分裂をねらってのものであった。

 後者の3つの団体に対しては,学長代理の指示にしたがって,大学側の代表として人権問題委員会副委員長江嶋,「同和」教育委員会委員長森島が対応した。

 そのような外部の圧力があったにもかかわらず,大学主催の「121全学集会」が開催され,大学全体としての「821差別落書事件」への取り組みの結実をみることになった。

 

10. 新谷助教授がいう「リンチ事件」

 学友会の学生,部落解放研究会の学生,韓国からの留学生による新谷助教授への話し合いの要求は,新谷助教授が沈黙したまま話し合いを拒否し続けたため,ますますエスカレートしていった。大学としては,学生の怒りあまっての「暴走」を抑えるために,学生たちを説得するように江嶋氏にその役を託した。

 新谷助教授のいう「身柄拘束事件」の当日,1116日,話し合いに時間を要したのは学生を説得するためであって,新谷助教授を「拘束する」ためではなかった。学生に対して,新谷助教授への今後の取り組みを大学が約束することによって,学生たちはそれ以上の要求は無理と判断し,大学の提案に渋々納得することになった。

 ところが,新谷助教授は,その日(19891116日)の「身柄拘束事件」,その後の「業務命令(研修命令)」の不当・違法性を訴える抗議文を,北西学長代理に送り付け,大学を告訴することも辞さず,とまで言い出した。大学当局は,その抗議に対する対応を弁護士に相談までしている。

 ようするに,江嶋氏や森島が置かれていた状況は,いわば大学当局側にあって,学外の運動団体への防波堤の役割を果たし――通常,こういった大きな差別事件が起こった場合,民間運動団体による「確認・糾弾会」が開催され,理事長の反省が求められてもおかしくない――,学内においては,学友会の学生,部落解放研究会の学生,韓国からの留学生の怒りに対応するという困難な取り組みを,一手に引き受けていたのである。

 大学当局の差別落書事件への取り組みを妨害し,批判していたのは,新谷助教授であり,鄭講師であった。新谷助教授は,日本共産党や全解連とつながり――何回かの全解連主催の集会において,彼はその「〈リンチ〉事件」について話をしている――,鄭講師は「民闘連広島」とつながり――彼女自身が「民闘連広島」のリーダー的存在であった――,大学への過激な批判を,当時,繰り返していた。

 それが,本裁判においては,立場が逆転し,江嶋氏が大学を「脅していた」過激分子とされ,新谷・鄭両氏が「大学のために」「江嶋の暴挙」を阻止した勇気ある人物として登場してきているのである。

 大学の社会的責任を果たすべく多くの教職員が夜も寝ずに働いているあいだは,なにもしないばかりか,勇ましい意見を並べ立て,妨害のおしゃべりだけしていた人物が,姑息にも,当時の立場を隠蔽し,偽りを言い立て,逆転させてしまう。そのような勝手なことがまかり通っていること自体が,大問題である。

 

11. その後の経過

 今回の「社会学疑惑事件」の起こりに関しても,鄭講師が,「民闘連広島」の運動に参加しているときから面識があった新聞・テレビ記者に,前田職員を会わせ,ついには,鄭講師の思惑どおり――当初,前田職員は,彼女の「私的メモ」をマスコミに手渡すことを躊躇していた。その後,1枚の差別ビラ,「129差別ビラ」を目にすることによって,それを決断した。その「差別ビラ」の存在は,本裁判の審理のなかではじめて明るみに出されたものである。前田職員のみがそれを見,前田職員にのみその存在意味のあった不可思議な差別ビラ!――,前田職員は,自身が所有していた「私的メモ」をその記者たちに手渡すことになった。

 単なる前田職員の「私的メモ」が,鄭講師の工作により〈裏〉から記者に手渡されることによって,〈裏帳簿〉に変身した。直後,待ってましたとばかり,その記者たちの大学への取材攻撃が始まる。この外部の圧力への対応から,「社会学疑惑事件」がでっち上げられていった。

 つまり,「社会学疑惑事件」とは,鄭講師の,大学当局に対する,学外の力を借りた「挑戦」であった。新谷助教授の,「大学告訴」の脅しと性格は同じである。

 そして,1990222日,「マスコミ報道」がなされ,「222差別怪文書」が発見され,同日,社会学の疑惑に関する「学内調査委員会」が設置された。

 「222差別怪文書」には,「121全学集会」の全学的な反差別の盛り上がりのなかで,みずからの出身を明らかにした職員の名前,そして,いわゆる〈裏帳簿〉なるものをマスコミに手渡したことで大学のなかで孤立するはずの前田職員を救うかのように,大学内の職員のトップに位置する事務局長の名前までもが挙げられ,彼らが「公金を横領し,秋葉,小森の衆議院議員選挙に横流していた」と書かれていた。

 その年の学長選挙において,香川不苦三新学長が誕生し,各学部においても新学部長が選ばれ,また,各部局長もほとんど全員新メンバーとなった。当然,この「騒動」のなかでの選挙であったため,新しい当局体制は,反江嶋,反「同」教委で固められたことはいうまでもない。

 「社会学疑惑事件」の「学内調査委員会」のメンバー構成も,また,然りである。

 旧大学当局の真剣な差別問題への取り組みを目にしてみずから部落出身であることを明らかにした職員が,新たな体制のもとで孤立していき,大学内の情報をマスコミに売り渡すことによって学内で孤立するはずであった前田職員が,新しい大学当局と結びついていくことになる。

 この日を境に,大学当局と,江嶋氏や森島をはじめとする「同和」教育委員会との分裂が,決定的となる。つまり,大学は,江嶋氏や青木氏と「同和」教育委員会を攻撃することによって,「鄭講師の仕掛けによるマスコミ攻撃」「新谷助教授の告訴」を回避する道を選んだのである。もっといえば,この新体制の大学当局は,新谷・鄭両氏と一緒になって,江嶋氏や青木氏たちを大学から追い出し,「同和」教育委員会をつぶすことに専念することになる。

 

12. 解雇劇の隠された背景

 以上が,社会学教員を大学から排除するために画策され,実行されていった背景である。

 しかし,大学当局(現在の)は,さすがに,以上の排除=解雇劇を進行させるためにホンネを出すわけにはいかず,社会学教員のひとり,好井氏の休講問題にまず目をつけ,これを問題にすることで,社会学教員たちをひと括りにした問題性を演出していった。休講したのは好井氏だけであり,他の青木,江嶋,亘,福留の各氏にはまったく休講の事実はない。にもかかわらず,まず,この休講問題で,共同責任を問うイメージを作り上げていった。江戸時代の五人組制度である。

 つぎに,実験実習費をめぐるカラ出張,カラアルバイト,カラ領収書を問題にしていく。カラアルバイト,カラ領収書に関しては,担当職員の前田輝美による単独行為であることは,裁判のなかでもほぼ明らかになっている。問題は,カラ出張に関する問題である。これも休講問題と一緒で,そのほとんどが好井氏による単独行為の性格が強いことが裁判のなかで明らかにされている。

 にもかかわらず,休講問題をとおして作り上げられていった社会学教員共同責任論のイメージが積極的に使われ,共同謀議というまったく事実無根のでっち上げによって,他の社会学教員も好井氏と同罪にされていった。

 いまの大学当局が大学から排除したかったのは,好井氏ではなく,江嶋氏と青木氏だったからである。江嶋氏と青木氏は,好井氏や前田職員の行為の責任をとらされて,解雇されていったのである。亘氏と福留氏にいたっては,実行行為者の好井氏と実行行為のない江嶋氏と青木氏を「共同謀議」という概念でつなぐために必要であったから処分されていったのである。信じがたいかもしれないが,ただそれだけなのである。

 江嶋氏と青木氏は,前田職員と好井氏だけを処分させないように,かれらを守るために,当初,さまざまな言動,たとえば,カラ出張などの手段を部分的には正当化するような発言をした。そのような言動が利用され,「共同謀議」の根拠にさせられたのである。江嶋氏と青木氏のそのような「お人好し」の部分が,裁判で不利に働いた。

 大学当局があげつらった解雇理由など,大学で問題にされるような事柄ではない。解雇の本当の理由は,現在の大学当局を支える教員たちの,同和問題・人権問題に対する警戒感,嫌悪感である。思想統制というにもお粗末なほどの理由付けが,本当の原因なのである。

 そのすべての始まりが,「821差別落書事件」にある。

 

13. 高裁判決の意味

 今回の高裁判決は,大学当局でさえ「表に出したらまずい」と考えていた解雇の本当の理由を,いわば「表に出して」判決を下している。

 今回の判決をとおして,ゆえに,解雇の本当の理由がどこにあったのかを教えてくれている。大学当局による解雇の背景を暴き出す役割を積極的に演じている。その意味で,露骨な思想統制と言わざるをえない。

 解雇事由にあった事実関係が裁判の焦点であるべきなのに,高裁判決は,この事実関係に関係なく判断を下している。あらかじめ,控訴人らを「大学から排除すべき人物像」として描き出し,それにしたがって判決がつくられている。あまりにも一方的である。

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(4) A Court of Inquisition

Michael Fox (Hyogo College, Japan)

E-mail: thefox@humans-kc.hyogo-dai.ac.jp

 

March 30, 1999 was a sad day for many people. It was sad for the five dismissed faculty who lived and taught according to their conscience. It was sad for the families and friends who have offered support over the past eight and a half years. But most of all, it was a sad day for those who have not even heard of this incident. Ignorance is never bliss. The decision of the Hiroshima high court is a blow against educators and researchers everywhere. It is a punch delivered at all who dare speak out and illuminate the social problems of Japan.

 A judicial decision should expound upon legal theory and precedent. It should be unemotional, impartial and analytical. The decision by the high court is an astonishing deviation from convention. Except for a few strands of legal discourse at the very end, the decision is essentially a political invective. On Page 27, "In 1981, at the opening of the university's research institute Ejima stated that when he was a graduate student, over the span of two years he had possession of a double ledger for the research of a Christian village and called professors to request phony field trips (shucchou) on their free days to accumulate funds." Even if the circumstances were true, what relation would it have to this case? On page 36, "Ejima submitted a bill for 2,600 yen (USA $21.50) to raise money for student field work and removed it from the pool fund."* The list continues with more of the same frivolous accusations.

 I have read many judicial decisions and legal theories from Japan and elsewhere, but this is astonishing. To include such peripheral and inconsequential details in a high court document is an aberration of jurisprudence. This is not a decision, it is an inquisition.

 What brought the court to such a contorted opinion? It is frightening to think that testimony given by a university stool pigeon who openly admitted to extensive forgery would be so easily swallowed and affirmed by the bench. It is easier to conceive the decision as a political platform. The court wants to tell the dismissed faculty and the entire kaihou movement, "this is your kyuudan. Now you can know how it feels."

 After living happily in this country for sixteen years, I am now getting scared. The tide in education is swinging against free speech and independent thought. The implementation of ninki-sei contracts for university faculty is an attempt to commercialize education and silence those in the liberal arts. The Shudo-dai decision is a vilification of Shusaku Ejima and the Buraku Liberation movement. The court's message to academia, "Avoid controversy and obey authority. We won't help you."

 Martin Luther King often said, "Injustice anywhere is a threat to Justice everywhere." I want to think that Japan is a fair and just country with guaranteed constitutional rights to protect citizens. I want to believe that academic and political freedom exists. I want to tell the world that Japan is a comfortable and free country. Since March 30, all this has drastically changed. In industry and technology, Japan continues to move forward. Intellectually and philosophically, it has slipped backward. Scholars thinking of visiting these shores should be warned, Japan is not what it appears to be on the surface. To the contrary, it is a few narrow islands ruled by a feudalistic consciousness. Nails that stick up will get hammered down. The purpose of law is to preserve the status quo; academics and activists do not need rights. Obey authority or face the consequences.

 

* A Note on Japanese Universities and the Pooling of Funds

 At most Japanese universities and colleges the usual allotment of funds is through "pools". Even when funds are allotted to individual professors, they are distributed, jointly rather than individually, through departmental pools. For example, I receive research allowances for two separate categories: travel and materials. For each category I am allotted 70,000 yen ($600) for travel and another 70,000 yen for research materials (books, conference fees, association fees, etc.) for a total of 140,000 yen. This same amount is allotted for each of the eight faculty members in my department at Hyogo College. It exists in a pool. I have the exclusive right to 100,000 yen of this pool, the rest is allocated by discretion of the dean. In terms of the national average for junior colleges, 330,000 yen ($2,750) per faculty member, the amount I receive is embarrassingly small. Professors at four-year institutions normally receive twice this amount.

 Likewise, other funds are pooled similarly. Once again, using my institution as an example, a budget is allocated for library materials, classroom supplies and entertainment expenses. Funds are calculated either per student, per faculty member or a combination of the two and pooled as such. Each department has some leeway in its choice of use. Naturally there are common sense rules and guidelines but the administration only routinely monitors the actions of each department.

 American universities have similar standards. Last year I was at the University of Minnesota on sabbatical. Toward the end of the academic year, certain professors and departments, eager to use up annual budgets, hosted symposiums and colloquia accompanied by delicious meals. It is no secret that much of the budget was used to fund the latter. Students were invited to attend the meals even if they could not attend the presentations. One professor from Greece boasted, "Even if I cannot capture a student's mind, I can capture his stomach." Personally, I was captured; the food and wine were excellent.

 By these standards, the high court's citing that 2,600 yen was used for coffee, or that 5,000 yen was used for a particular research questionnaire; or that 2,200 yen was used for toll road fees for a field project; is frivolous and inept. Though I can not comment about the courts, their overseers at the Ministry of Justice have ample budgets for food and drink which renders such an opinion on this case absolutely absurd.

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【和訳】

侵犯の法廷

マイケル・フォックス(兵庫大学)

 

 1999330日は,多くの人びとにとって悲しい日だった。良心に従って生き,教育に携わってきた5人の解雇された教授たちにとって,悲しい日だった。過去8年半にわたり彼らを支援してきた家族や友人たちにとって,悲しい日だった。それどころか,この事件のことをこれまで聞いたことのない人びとにとっても,悲しむべき日となった。無知であることが至福であったためしはないのだ。今回の広島高裁の判決は,すべての教育者,研究者にとって大きな打撃となる。日本社会の暗部に潜むさまざまな問題に異議申立てをし告発しようとしているすべての人にたいする,強烈なパンチなのだ。

 本来,裁判官は,判決文のなかで,法理論や判例に照らした詳しい解説を述べることを求められている。判決は,感情を排し,公正で,論理的でなければならない。今回の高裁判決は,こうした慣例から驚くほど逸脱している。今回の判決では,末尾の部分で付け足し的に法的論議にふれられているにすぎない。判決自体が政治的な攻撃になっていると言わざるをえない。たとえば,判決文の27頁に書かれていることは,こんな調子のものだ。「昭和56421日に開催された第1回総合研究所運営委員会において,控訴人江嶋が大学院生であったとき,長崎県のキリシタン村落を調査した際, 2年間二重帳簿をつける係を経験した,いろんな先生に電話をかけて会議もないのにカラ出張をしてもらい,その費用を浮かせた旨発言していることが認められる」*。江嶋修作がこういう発言をしたことが事実だったとしても,それが解雇処分理由となんの関係があるのか。36頁に書かれていることも,こんな調子のものだ。「昭和62624日,学生のコンパの際,前田**の所持していたプール金が足らなくなったため,控訴人江嶋が2,600円を立て替え,その後,プール金から控訴人江嶋の右立替分が支出されたこと」。同じような取るに足らないばかげた言い掛かりが,延々と続く。

 私はこれまでに日本や他の国々の多くの判決や法理論を読んだが,この判決にはほんとうにたまげてしまった。こんな瑣末で取るに足らないことを細々と高等裁判所の文書記録に含めるとは,法理の逸脱である。

 何が裁判所をこんなに歪んだ見解を持つにいたらせたのか。公判廷で,大学当局の操り人形が,たび重なる文書改竄の事実をはっきりと認めたというのに,その証人によってなされた証言を,裁判官たちはいとも安易に鵜呑みにしてしまったのだ。そのことに,私は背筋が寒くなる。こういった判決がでるには,その背後で政治的力学が働いたのではないかと考えざるをえない。解雇された教授たちと〔その教授たちが連帯していた〕部落解放運動にたいして,裁判所は,こう言おうとしているのだ。「これはあなたたちに対する糾弾ですよ。やられてみてはじめて,糾弾されると,どんな思いをするものか,わかったでしょう」。

 私は,過去16年間,この日本の国でそれなりに幸せに暮らしてきた。しかし,いま,私は恐怖を感じはじめている。教育界の潮流は,言論と思想の自由に逆らう方向に向かっている。大学では,教育の営利化が推し進められ,一般教養科目を教える教員たちの口を封じるための任期制契約が実行に移されようとしている。広島修道大学の社会学5教員の不当解雇処分は,江嶋修作と部落解放運動にたいする嫌がらせ以外の何ものでもない。裁判所が学問の世界にむけて放ったメッセージは,こういうことだ。「あらがうことをやめよ。大学当局の言うことに従いなさい。さもなければ,どうなってもしらないぞ」。

 マーチン・ルーサー・キングがしばしば口にした言葉に,こういうものがある。「どこかでひとつの不正がまかりとおれば,いたるところで正義がおびやかされる」。私は,日本という国は,市民の人権が守られるということが憲法で保障されている,公平で公正な国であると思いたい。日本には学問の自由と思想・表現の自由があると信じたい。世界の人びとにむかって,日本は快適な自由の国だと言いたい。だが,1999330日以来,すべてがひっくり返ってしまった。産業と技術の面では,日本は依然として前進しつづけている。しかし,知性と哲学においては,日本は世界のリーダーの地位から転げ落ちてしまった。日本に来ることを考えている海外の学者たちに,警告しておきたい。うわべの日本に騙されてはいけない,と。表面的な見せかけとはちがって,日本の実体は,いまだに封建的な意識に支配された島国なのだ。出る杭は打たれる。法律の目的は既成秩序の維持にある。研究者と活動家に人権は不要。権威に従え,さもなければ,因果応報を覚悟せよ。

 

[編集人補注]

* 判決文の記述では,そもそもなにを言っているのかわからないであろう。〔  〕内の言葉を補うことで,はじめて意味が通じよう。「昭和56421日に開催された〔広島修道大学の〕第1回総合研究所運営委員会において,控訴人江嶋が〔九州大学の〕大学院生であったとき,〔九州大学の教授が〕長崎県のキリシタン村落を調査した際,〔大学院生の江嶋がアシスタントとして〕2年間二重帳簿をつける係を経験した,いろんな先生に電話をかけて〔出張先とされたところで研究打ち合わせの〕会議もないのにカラ出張をしてもらい,その費用を浮かせ〔て調査地に調査の拠点のための家を借りる手配を教授の指示でおこなっ〕た旨〔江嶋が〕発言していることが認められる」。

 しかし,これでも,字面の意味が理解可能になるだけで,なぜ江嶋修作氏が,1981年に,広島修道大学の「第1回総合研究所運営委員会」の席上でそのような発言をしたのかの真意は不明であろう。誰であれ,私はルールを平気で破る人間であるなどと公的な場で表明する人はいないからである。

 江嶋氏の発言の真意は,こうである。江嶋氏が九州大学の大学院生であったとき,彼の指導教官であった宗教学の教授が,「隠れキリシタン」の伝統を引き継いでいるある村の調査を企画し,文部省の科学研究費補助金の助成を受けた。この調査目的を遂行するためには,調査者がその村に一定期間住み着いて,村びとたちとの交流を深め,信頼関係をつくることが必要不可欠であった。そうでなければ,だれも「隠れキリシタン」にまつわる「秘密」を語ってはくれないのだから。しかし,文部省の科学研究費には,家を一軒借りるという形での支出を許容する「費目」が存在していない。本来の調査目的を成功裏に進めるには,どうしても家を借りるためのお金を準備しなければならなかった。そこで,教授は,大学院生の江嶋氏に,「カラ出張」の手口で,調査本来の目的に使うためのお金を用意することを依頼したのである。

 大学院生のときにそのような経験をしたことがある江嶋氏は,だからこそ,広島修道大学の総合研究所の用意する調査費用は,本来の調査の遂行のさまたげとなるような「支出費目」の制限はあらかじめ撤廃すべきだ,と主張したのである。これが,江嶋氏の発言の真意である。

 しかしながら,大学当局は,1990年の解雇処分にあたっては,江嶋氏が大学院生のときに調査費用の「カラ出張によるやりくり」をしたという「前科」があるのだから,広島修道大学の教授になっても,平気で同じ「違法行為」をしたにちがいないと決めつけ,裁判所もそのような悪意にみちた解釈をなんら吟味することなく認めてしまったのである。

** 広島修道大学人文学部人間関係学科調査室に配属されていた職員,前田輝美をさす。彼女が,いわゆる「プール金」を預かっていた。裁判では,大学側証人として出廷し証言をおこなっている。

 大学当局も裁判所も,この2,600円というお金を,江嶋氏たちが「不正に使用した」と決めつけている。しかし,いわゆる「プール金」と言われるもののなかには,5教員や大学院生が,調査のために正規の旅行をして,正規の支払いを受けたお金のうち,その旅行で使われなかった残りのお金をカンパしたものが多く含まれている。つまり,「出張費」として大学から支払われる金額には,交通費,宿泊費のほかに「日当」も含まれている。したがって,出張をすると,必要な経費を支払ったあとに,一定の金額が手元に残る。これは,正規に5教員のポケットマネーとなったものである。それは何に使おうとまったく自由である。しかし,5教員は,それらの余ったお金を,共同で使えるお金として「プール」したのだ。したがって,2,600円を,本来「調査に使うべきお金」を学生たちとの私的な飲み食いに使ってしまったと決めつけるのは,まったく的外れなのである。

 なお,マイケル・フォックス氏による "A Note on Japanese Universities and the Pooling of Funds" は,日本の大学での研究費が一般に「プール」化されて使われている事情を,海外の読者のために説明したものであるので,ここではとくに訳出しなかった。

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(5) 不当判決を許さない!

青木秀男

 

 私たち,広島修道大学の不当解雇・不当処分と闘う5名の控訴人(江嶋修作,青木秀男,亘明志,福留範昭,金杉恭子)は,1999330日の広島高等裁判所の不当判決に強く抗議いたします。

 私たちは,19973月の,不当解雇・不当処分を容認した広島地方裁判所の不当判決に抗議し,高裁に控訴しました。審理のなかで,大学当局による私たちの解雇の理由や手続きの違法性を誰の目にも否定しがたい証拠と論理をもって立証して,処分の出鱈目さを完膚なきまでに暴いてまいりました。

 にもかかわらず,高裁は,またもやそのような大学当局の違法を容認する判決を下したのです。しかも今回は,大学側の言い分を恣意的に羅列し,大学側が判断を回避していることさえ踏み込んで断定し,他方,私たちの反論はいっさい無視して門前払いをくわせて「控訴棄却」とするという,地裁判決を上回る悪意に満ちた判決でした。地裁判決で手痛い負けをきっして以来,正義への信念をもたない法の技術官僚/精神のない専門人たる裁判官なる者は信用できるものでないと肝に銘じてきた私たちでありますが,その予感は不幸にも的中したかたちとなりました。しかし,これほどに露骨な偏見と,人を人とも思わない傍若無人な態度を見せつけられると,私たちは,やはりこみ上げる怒りを抑えることができません。

 裁判とはいったい何でしょうか。それは,裁判官の自尊心を満たすためだけの茶番でしょうか。訴える者と訴えられる者が論争するのは,何のためでしょうか。それは,裁判官の予断の「客観性」を装うためのアリバイでしょうか。では,裁判官にとって客観性とはいったい何でしょうか。真実とはいったい何でしょうか。判決を読むとき,このように問うことさえはるか遠いというか,空しいというか,言葉もない始末なのであります。当日,判決を傍聴したアメリカ人の研究者は,日本の裁判にも陪審員制度を導入すべきだと叫びましたが,彼がそう言うとき,彼もまたこのたびの裁判官に対する強い不信感を募らせたからでした。

 私たちが不当解雇の処分を受けて10年になります。この長いあいだ,いろいろな形で支援していただいた方々にはお礼の申しようもありません。そして,このような判決の結果が私たちの闘いの限界以上に,裁判官の偏見と予断によるものであるとはいえ,みなさまにはお詫びの申しあげようもありません。深く頭を垂れるばかりであります。

 この10年,私たちは,世間から烙印され,家族に精神的かつ生計上の迷惑をかけ,研究の資金や文献・資料を奪われてまいりました。3人の弁護士の先生方には詳細な証拠調べと緻密で水も漏らさぬ反証を行なっていただき,私たちは私たちで事実を事実としてことの詳細を誠実に明らかにしてまいりました。ところが,このような裁判にのぞむ態度と膨大な労力の結果が,私たち素人でさえ一,二日もあれば書けるような,質量ともにお粗末きわまりない判決文だったということなのです。私たちは,10年を返せと,この怒りを誰に向かって叫べばいいのでしょうか。

 日本の裁判は時間がかかりすぎだと言われます。じつに,時間がかかりすぎとは,これらすべてのことをさすのであり,そのこと自体途方もない人権侵害であったことを,私たちはあらためてひしひしと感じております。それでも私たちは,国内外の多くの方々の熱いご支援があったればこそ,ここまでやってこれたのでした。孤立して,無実の怒りをふりむけるところもなく,言葉を投げつけるところもない多くの庶民にとって,裁判というものがいかに無防備な人間を愚弄し,人生を踏みにじる「権力」そのものであるかということに,いま,腹立たしく思いいたすのであります。

 私たちの表向きの解雇理由は,当時の会計担当の社会学教員が学生の実験実習費を調査経費の実態に合うように執行するために行なったやりくりが「私的流用」であり,それは私たち全員の「共同謀議」のもとで行なわれたというものでした。私たちは裁判で,会計担当であった教員ともども,そのような「私的流用」など1円もないこと,やりくりについての「共同謀議」などなかったことを徹底的に立証してまいりました。じっさい,大学側弁護士は,準備書面や法廷尋問において,私たちの立証に対してなにひとつまともな反論を行なえませんでした。

 ところが,私たちを解雇した大学側の本当の意図は,人権を大切にし,研究を大切にする開かれた大学づくりを率先してめざしていた,「同和」教育委員であり社会学教員であった私たちを大学から排除することにありました。すなわち,大学当局にとっては,私たちが行なったとする「行為」が問題だったのでなく,私たちが大学にいること自体が問題だったわけです。だからこそ彼らは,私たちを解雇するためにマスコミをも利用した悪辣な謀略を張りめぐらし,私たちが実験実習費の「私的流用」と「共同謀議」の事実無根をどれほど立証しようとも,理屈も面子も見境なく,ひたすら私たちを非難することだけに終始したのでした。そして,いま,裁判官が,二度までも,そのような大学当局の無謀を判決という「暴力」をもって追認したのでした。

 このように,私たちの解雇は,考えや思想の異なる者を有無を言わさず大学から追放したというのが真相であります。この意味で,大学当局による解雇は,あれこれの理由や手続きの違法性を越えた重大な思想統制であり,思想・信条の自由の否定であり,基本的人権の柱としてそれを保障した憲法そのものの否定なのであります。さらに,そのような憲法の精神を守るべき裁判官みずからが,大学当局の憲法違反を容認するどころか,それに積極的に荷担したということであります。

 今日,日本の政治・思想状況は,総保守化の様相を呈しているといわれます。選挙制度の改悪による政治的少数派の排除,同和行政の廃止,安全ガイドラインの見直し,日米安保条約の強化,などなど。そしてそれらが,教育官僚による学校現場への「日の丸」「君が代」の強制を梃子とした思想統制の圧力として,いままさに,広島の政治状況に突出しているわけであります。これらをめぐる政治や思想のイデオロギーについての論評はさておき,今日の日本の政治・思想の総保守化の状況はたしかな事実であります。情動が吹き荒れる社会風潮のさなか,部落解放運動などマイノリティの社会運動も,後退をよぎなくされつつあります。H. マルクーゼが言う抑圧的・管理的な「一次元的社会」が,日本に到来しつつあるかにみえます。

 私たちは,今回の不当判決がこのような政治・思想状況に直結しているなどと大それたことを申すつもりはありません。しかし裁判官は,私たちが,一国民として,また研究者として,同和教育運動をはじめとするマイノリティの社会運動に積極的にかかわっていることを,裁判のなかで熟知してきたはずです。したがって,かりに裁判官の頭脳には,無意識にであろうと,私たちの解雇事件に対する彼らの判断にそのような今日の政治・思想状況に迎合する司法官僚の意図が介在していたとみても,あながち勘ぐりすぎとは思いません。なぜなら,判決文には,裁判官の客観的で公明正大な判断からはるかに遠く,悪質な三流週刊誌のごとき,ただただ私たちへの非難と「嘘」が書き殴られているだけだからであります。私たちは,そのような判決の政治的な意味についつい思いをいたすわけであります。

 私たちは,この理性や知性のかけらもない愚劣な判決が,私たちの10年の屈辱と苦節を二度までもあざけったから許せないだけではありません。それ以上に,裁判官が,雇用者が思想・信条のあわない者を恫喝と謀略をもって排除した,しかも,思想・信条の自由をもっとも大切にしなければならない大学の場においてそれを行なった大学当局の憲法違反を容認し,裁判官みずからが日本の民主主義を冒涜したことをこそ許せないと思うわけであります。

 このような理由から,私たちは,いかに微力であろうとも,この不当判決に抗議し,解雇および思想の自由弾圧の違憲性を衆目の目にさらし,日本の思想・信条の自由を守るとの気概をもって,今後の闘いに歩を進めたいと存じます。高裁判決の後,私たちはただちに最高裁判所に上告する準備を始めました。もとより私たちは,最高裁の審理にいささかも期待するものではありません。法廷での弁論もなく,陳述書や書証の提出もできず,ただ審査を待つだけで,しかもただでさえ時の政治に迎合しがちな最高裁に期待する方が無茶というものであります。

 にもかかわらず私たちは,弁護士の先生方にもう一度頑張っていただいて,それでも最高裁においてなしうることをなし,あわせて法廷の外で,講演や出版や研究活動を通じて,大学当局と広島地裁・広島高裁に対する抗議活動を繰り広げてまいりたいと存じます。それは,社会に対する私たちの義務と思うからであります。

 みなさまには,このような私たちの闘いに今後ともよろしくご注視いただきますよう,お願い申し上げます。

1999418

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(6) 謝  辞

江嶋修作

 

 これまで10年ちかくにわたって,「不当解雇撤回の裁判」を闘ってきました。この間,多くの方々に支えられてきました。多額のカンパ,激励の手紙,裁判の傍聴など,身にしみるご支援をいただいてきました。

 まずもって,お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 高裁での闘いも,弁護士の先生方を中心にして,わたしたちにかけられた解雇事由のほとんどは,根拠のないものであることを実証してきたつもりです。大学側が主張してきた事実を,大学側が裁判所に提出した証拠を使って,その虚偽性を明らかにすることもやってきました。

 しかし,高裁判決は,処分事由に関する高裁での議論もまったく無視したかたちでの判決でした。

 部落差別問題,人権問題にかかわる教員に対する偏見を露骨に示す判決でした。一部大学当局者の持つ,これらの問題に対する偏見,嫌悪感を最大限に汲み取った判断としか言いようがありません。

 相手側の弁護人は,そういう意味では「優秀な」人たちでした。部落差別問題に対する偏見を引き出すような作戦を積極的に採用するという,姑息な戦法が実を結んだ判決でした。解雇処分にかかわる事実に対しては,ほとんど議論しない作戦がとられ,それが見事にはまったと言うべきでしょう。

 高裁の判決結果については,これまでご支援いただいた多くの方に,申し訳なく存じております。結果として,期待を裏切ってしまったことに対して,ただ頭を下げるしかありません。

 しかし,わたしたちは,このような不当な判決およびこのような裁判のあり方に対して,とうてい容認することはできません。今後の闘いが,より厳しくなっていくことも十分に承知しております。だが,わたしたちは,闘い続ける意志に関して,いささかも揺らぐことはありません。

 大学の教員・研究者に対して,このような偏見にみちた判決が定着すれば,多くの先学たちが築き上げてきた「学問の自由」が危機にさらされてしまいます。それどころか,多くの労働者に対する「労働者としての基本的権利」も危うくなってしまいます。

 最後まで闘い続けます。

 

 みなさまにお願いがあります。

 この裁判に関する情報に関心を持っていてください。

 いま,日本の大学の学問・研究に関する問題で,何が進行していっているのか,今回の判決で何が判断され,その結果がどうなるのか,について,関心を示し続けていただきたいのです。

 以上,簡単ですが,みなさまのこれまでのご支援に感謝申し上げますとともに,今後のことについてお願い申し上げます。

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(7) カンパ御礼と会計報告

世話人 福岡安則

 

 19981023日以降1999427日までに,みなさまから493,000円のカンパを世話人の元にお送りいただきました。ご支援に感謝致します。

 支援カンパをお寄せいただいた方々のお名前は,次のとおりです(敬称略,順不同)。

無名舎-ふくしワーカーズのみなさま,小田亜佐子,桜井哲夫,川向秀武,佐久間正孝,中河伸俊,江嶋壽雄,井上 俊,永井広克,上子武次,佐久間 健,石塚良次,山本鎮雄,三輪嘉男,片桐一成,渡辺幸博,庄谷邦幸,塚田 守,斉藤洋一,角 知行,善積京子,広田照幸,南山正義,千石好郎,今野裕昭,黒田浩一郎,小関三平,山之内正彦・萩子,今津孝次郎,上杉孝實,宮野 勝,越智 昇,牛島千尋,永野由紀子,舩橋晴俊,舩橋惠子,草野 靖,古屋野正伍,磯部卓三,栗原 彬,井上雄之,足助安章,石垣英治,マイケル・フォックス,服部範子,樋口晟子,駒井 洋,牧野暢男,川崎賢一,桜井 厚,李敬宰(高槻むくげの会),田口純一

 みなさまからお寄せいただいたカンパの,19981023日から1999427日までの使途は,次のとおりです。みなさまのカンパのおかげで,50万円の裁判闘争支援金を支出することができました。あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

収  入

支  出

世話人預かり金    792,970

カンパ        493,000

 

裁判闘争支援金    500,000

会報第5号等印刷費  160,000

郵便代         63,660

事務局費        10,462

世話人預かり金    551,848

   計      1,285,970

   計      1,285,970