「マイノリティ問題研究会」のご案内
埼玉大学 福岡安則
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1988年にスタートした「マイノリティ問題研究会」は,2011年12月現在,少人数の参加者ながら,続行中です。次回以降は,2012年1月8日(日),2月12日(日),3月18日(日),午後1時〜4時30分まで,東大本郷近くの「西片会館」にて。どなたでも,ご自由に参加できます。(2011.12.7記)
【「西片会館」への行き方】そして【昼食をとられる方へ】
地下鉄「丸の内線」の「本郷三丁目」下車。三丁目の交差点の交番のおまわりさんに聞くなりして,「赤門」を通りすぎて,「東大の正門」へ。
「正門」のところで,左に道を入ります。曲がり角にあるのは「井上書店」と「万定の看板」です。【この,パーラー万定(まんさだ)ですが,カレーライスが750円,ハヤシライスが850円。レジがなんと昭和9年北米合衆国は「オハヨー州製」のレジで,いい音がします。】
少し行くと,中小あわせて「六叉路」にでます。右から2つめの道を選びます。その角には「本郷消防団地域活動センター」という名前の小さな建物があります。この道を少し行くと,陸橋「清水橋」にでます。「清水橋」を渡れれば,道は間違っていません。
あとは,ゆるやかな上り坂をのぼっていくと,「西片公園」にぶつかります。左手のほうに,「西片会館」はあります。
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福岡安則が主宰する「マイノリティ問題研究会」は,記憶によれば,1988年夏にスタートしました.当時,日本に来て調査研究をおこなっていたJeffrey Broadbentさん(現在,Associate
Professor, University of Minnesota. 代表的な著作に,Environmental Politics in
Japan: Networks of Power and Protest, Cambridge: Cambridge University Press,
1998 がある)から,「ぼくが日本に来ているのに,友人である福岡さんは,ぼくのために何もしてくれないのか.ホームパーティと研究会をやってほしい」と,“びっくりする”ようなリクエストをもらい,それに応えたものです.以来,この研究会は,福岡の“道楽”として,福岡が個人的に会場費などを負担するかたちで継続してきています.
当初は,ジェフと,辻山ゆき子さん(現在,共立女子大学教員)と,お名前と所属は思い出せないけれども,たしかフランスからの留学生と,福岡の4人で研究会がもたれていました.当時,福岡と辻山は,若い世代の在日韓国・朝鮮人を対象とした聞き取り調査を実施しており,福岡が毎回,そして,辻山が頻繁に,聞き取りの事例の報告をし,ジェフがときどき日本の環境問題にかんする報告をしていました.
福岡の手元のメモによれば,1992年4月の研究会から,政治学者の石田雄先生(東京大学名誉教授)がこの研究会に参加されるようになりました.石田先生との出会いは,先生が戦後日本の社会科学がいかに差別問題を取り扱ってきたか/取り扱ってこなかったかについての論考をまとめられるにさいして,明石書店の石井昭男社長の紹介で,社会学分野でのこの問題について意見を聞きたいと,福岡にコンタクトをとってこられたことによります.石田先生がほぼ毎回欠かさず参加してくださることで,この研究会への参加者が目にみえて増えてきたように思われます.というのも,各人の報告にたいする先生のコメントは,その“博識”と“視点の鋭さ”でもって,わたしなどはいつも感動させられており,多くの参加者もおなじ気持ちなのではないかと思われるからです.
長いこと,この研究会は名前もない研究会でしたが,山脇啓造さん(現在,明治大学教員)から,『近代日本と外国人労働者――1890年代後半と1920年代前半における中国人・朝鮮人労働者問題』(明石書店,1994)を上梓されるにあたり,「あとがき」でこの研究会に言及するのに名前がないと不便であるので名前を付けてほしい,との申し出があり,山脇さん自身に「マイノリティ問題研究会」という名前を付けていただきました.
こうして,“来たい者が都合のつくときに参加する”という,まったくなんらのオブリゲーションもないインフォーマルな研究会が,いつのまにか10年以上の歴史をもつようになりました.最初のころは,福岡が在日コリアン問題での報告を毎回やっていた関係で,在日コリアンの当事者の参加が多かったように思います.現在では,さまざまな大学の教員や大学院生,そして,ジャーナリスト,あるいは,海外の大学の若手研究者で博士論文のためのリサーチなどで日本に来られている人たちの参加が目立ちます.また,ふだん「研究」ということに触れる機会の少ない会社員の方も参加されています.こうして,この研究会に一度でも顔を出された方は,100人をはるかに超えていると思われます.
現在では,毎回,20人前後の参加者で研究会が開かれていますが,同時に,研究会参加者の“新陳代謝”も活発で,1年ぶりぐらいに研究会に参加されると,半分以上の顔ぶれは初対面ということも珍しくありません.日本人の,あるいは,在日コリアンの大学院生で,アメリカなどの大学へ留学していく,また,海外からリサーチに来ていた人が日本滞在期間が満了して帰国されていく,といったことが,そのひとつの要因になっているように思われます.
マイノリティ問題研究会の誇れる点のひとつは,とにかく多様な人びととの出会いがここでできる,ということではないかと思っています.研究会が終わった後,時間のある人は,近くの居酒屋で議論をつづけますが,ときには,テーブルの一方では「英語」で議論がなされ,他方では「朝鮮語(韓国語)」で議論がなされ,「日本語」しか話せない福岡ほかの面々は静かにしているといった場面が現出します.
参加されたい方は,福岡安則まで,E-mail: fukuoka@mail.saitama-u.ac.jp
または Fax: 048-858-3070 にてご連絡ください.
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メンバー紹介
ここでの「メンバー紹介」は,原則として自己紹介によりますので,「研究会の案内」を差し上げている方々の一部にかぎられます(順不同,敬称略).
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福岡安則の自己紹介は,ここを開いてください.
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柏崎千佳子(かしわざき・ちかこ)(1999.7.9受信)
E-mail: ckashiwa@gol.com
上智大学文学部社会学科教員
東京都生まれ.米国ブラウン大学大学院博士課程修了(社会学Ph.D.).
おもな研究分野は,エスニシティ,ナショナリズム,シティズンシップ論です.博士論文では,日本の国籍と市民権のあり方について,比較歴史社会学的なアプローチで分析しました.今後とも,国際比較の枠組みのなかで,日本社会のマジョリティ・マイノリティ集団間関係について考えていきたいと思っています.
マイノリティ問題研究会では,トピックも学問分野も多様な人たちと出会い,お互いの研究について話すことができます.私にとってもたいへん貴重な場となっています.
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Elise Foxworth
(1999.5.31受信)
E-mail: foxymote@kokugakuin.ac.jp
By way of introduction, my name is Elise Foxworth.
I am currently a doctoral candidate at the
I was born in
To date I have a Graduate Diploma from Sophia University in Japanese
language and a Masters Degree in Japanese Area Studies from Monash
University (Australia). I have been lecturing on Japanese society and language
since 1990 at
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山脇啓造(やまわき・けいぞう)E-mail: shanxie@anet.ne.jp
明治大学商学部教員
埼玉県大宮市生れ.東京大学法学部,コロンビア大学国際関係大学院修士課程修了後,国連開発計画JPOとして,コスタリカ事務所に勤務.その後1年半,中南米,米国,西欧諸国を「放浪」し,帰国.NHK放送通訳,明治学院大学国際平和研究所特別所員を経て,現職.
主な著書・論文に,
『近代日本と外国人労働者』(明石書店,1994)
『「韓国併合」前の在日朝鮮人』(共編著,明石書店,1994)
「もう一つの開国――外国人と近代日本」『近代日本と移民』(明石書店,1996)
現在,関心を持っているテーマは,地方自治体の外国人施策,日独の国籍法比較.
ましこさんとともに,この研究会に最も古くから参加しています.いつも,福岡先生がこの研究会の由来についてお話しになるとき,私の名前をあげてくださるのですが,長くいるわりに貢献していないので,お恥ずかしいです.でも,「来る者拒まず,去る者追わず」で,たいへん居心地のよい研究会なので,つい顔を出してしまいます.明治大学に移ってから,火曜の午後が教授会や委員会で夕方までかかることが多く,途中からの参加が多くなり,申し訳なく思っています.
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ましこ・ひでのり E-mail: masiko-sociologo@mte.biglobe.ne.jp
埼玉大学/放送大学ほか非常勤講師
専攻は社会学/教育学ほか.
1960年茨城県うまれ.一橋大学で田中克彦という言語学者にであう.学生時代はエスペラント普及運動にかかわる.東京大学大学院教育学研究科に進学.イバン・イリイチら異端の教育思想家の影響下のまま博士課程修了.5年後,おそいおそい課程博士になる.自由主義史観の論客がいる教授会で,それと正反対の歴史教育批判を展開した論文で学位をえたことが,ちょっと自慢.1997年,三元社から,『イデオロギーとしての「日本」』として公刊.琉球列島の社会変動や非識字者/障がい者の言語生活などを媒介に,国民国家日本のとらえかえしをおこなう.学校教科書に素材を提供しているアカデミズムの相当部分は国家神学である,あるいは,「漢字がないと日本文化が崩壊する」といった常識はイデオロギーにすぎない,といった「非常識」な議論を伝道してあるく.「国家語」学としての「国語学」,「国家史」学としての「国史学」を提唱し知識社会学を自認するが,周囲からは,沖縄学/社会言語学/ローマ字運動などから「奇術」のような論理を展開する「文化研究」専攻者として認識されている(らしい).最近は「マイノリティ研究のなかのマイノリティ」と自称している.
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趙慶喜(チョウ・キョンヒ)E-mail: kyong@mtg.biglobe.ne.jp
東京大学社会情報研究所 修士課程2年
1973年生まれ.朝鮮籍の「在日」3世.
朝鮮高校を卒業後,短大から埼玉大学に編入学し,福岡先生に出会いました.私が抱いていたマイノリティ問題への漠然とした関心は,福岡ゼミ,そしてこの研究会を通して少しずつ具体化されていったように思います.といっても当時は(若かったせいもあり)あまり熱心な参加者ではなかったと記憶しています.最近になってこの場のありがたみを実感している次第です.
修士論文では,1930年代の植民地朝鮮における戦時動員を生活改善という側面から見ていこうとしています.当時の新聞,雑誌と目下格闘中です.
(1999.4.20受信)
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鈴木陽子(すずき・ようこ) E-mail: IZP02527@nifty.ne.jp
ウイスコンシン大学大学院博士課程,財団法人民族学振興会研究員
1967年,和歌山県生まれ
戦争も知らず,全共闘世代のように魂を燃やす相手もいず,何に闘いをいどんだらいいのかわからないまま,日々襲いくるシニシズムから逃れるように,10年前アメリカに逃亡しました.やっと最近,「逃げない」こと,そこからしか前にすすめないことがわかるようになり,少しずつ自分自身を確かなものとして感じることができるようになってきました.
それと同時に,崩壊寸前だった研究もようやく焦点を結びはじめました.今年中に,「明治期における刑罰思想の発達と救済政策」というテーマで研究をまとめるつもりです.一言でいうと,明治政府の貧民・非行少年・障害児などに対する政策に,当時の形罰(犯罪)思想がどのような影響を与えていたのかを明らかにすることを目標としています.とくに,犯罪人類学,犯罪社会学という新しい犯罪学が果たした役割に注目しています.従来の研究は,政治経済思想を中心に救済政策を考えていくのが主流で,刑罰思想という視点からとらえたものはほとんどありません.目下のところ,だれも入ったことのない洞窟を探検するような感じで研究をすすめています.
これからの人生も,同じテーマで大正,昭和へと時代を下りながら研究を続けていきたいと思っています.マイノリティ問題研究会は,1998年11月から参加させてもらっています.毎回,さまざまな発表と白熱した議論を聞くことができて,とても幸せです.これからもどうぞよろしくお願いします.
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塩原良和(SHIOBARA
Yoshikazu)(1999.7.25受信)
E-mail: pi-suke@mue.biglobe.ne.jp
1973年:埼玉県生まれ
1998年3月:慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
修士課程での専門テーマはナショナリズム論
1998年4月:株式会社三和総合研究所入社
教育・文化・労働政策関連の調査研究プロジェクトに従事
1999年6月:同研究所退職
現在:博士課程進学のため浪人中(すなわちフリーター)
大学院時代、「お前は絶対サラリーマンには適応できない」と周囲の人すべてが忠告してくれたのを省みず銀行系民間シンクタンクに就職しました。現在、「人の忠告は聞くもんだ」と痛感している次第です…。
博士課程では、修士課程でテーマとしたナショナリズム論の視点から、各国の文化政策とそれをめぐる文化政治を分析していけたら、と考えております。
(これまでの主な業績)
「マジョリティ・ナショナリズムに関する一考察――96・97年の日本における歴史教科書論争を中心に」慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻1997年度修士論文
「ナショナリズムと『本質化』――96・97年の歴史教科書見直し論を事例に」『解放社会学研究』12号、1998年:72-93.
「日本の外国人政策の現状と可能性」『SRIC report』(三和総合研究所機関誌)3巻4号、1998年:65-74.
株式会社三和総合研究所『「アーツプラン21」の効果に関する調査研究報告書』(文化庁委託調査、共同研究)1999年
「現代先進諸国におけるエスニック・マイノリティ同化−排斥言説――ナショナリズム論としての展開可能性」日本解放社会学会第15回大会報告(1999年3月)
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橋本みゆき(はしもと・みゆき)E-mail: 97mb007n@bkm.rikkyo.ne.jp (近々変更予定)
立教大学大学院社会学研究科博士後期課程
在日韓国・朝鮮人の就職差別について修論を書いたところです.
1年間はこれの見直し作業をおこない,徐々に結婚という社会生活にも目をむけていこうと思っています.先行研究をご存知でしたら,ぜひぜひご紹介ください.
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服部慶亘(はっとり・よしのぶ) E-mail: mailto:yoshibei@mail.webnik.ne.jpyoshibei@mail1.webnik.ne.jp
1967年2月4日,横浜生まれ.
職業:日本大学国際関係学部講師(社会変動論,社会学担当).その他,同大学通信教育部,日本体育大学,帝京大学等にも出講.
この研究会には1990年1月から参加していますが,ここ数年は火曜日の夜間講義も担当しているため,研究会に参加できない状態が続いております.
私は,大学の社会学科の卒業論文で「マイノリティ」問題を取りあげ,修士課程(1989-91年)では「在日韓国・朝鮮人」問題を追究していました.このころ,早稲田大学で開催された日本社会学会で福岡先生とお会いし,現在に至ります.
しかし,博士課程(1991-94年)に進学するさい,「差別問題を研究するヤツは,なんらかの運動体にかかわっているにちがいない」と発言した心ない教員によって,「差別問題をテーマにし続けるなら,進学を認めない」というような通達を受けてしまいました.しかたなく,私は,理論的に依拠していたラドクリフ-ブラウンの理論研究を表看板に変えつつ,小笠原の在来島民のフィールドワークをしたり,専門を「社会構造論」と名乗ったりしていました.
結局,それがもとで大学の職を得られたのは皮肉ですが,2年前から「差別問題」をテーマにした講義も担当する(できる)ようになったのも,なんとも皮肉な話です.
最近,韓国における「日本文化開放」に関する論文を発表しました.興味をお持ちの方,ご連絡ください.
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古賀雅人(こが・まさと) E-mail: trauma@mx2.ttcn.ne.jp
未更新HP: http://members.xoom.com/sonho/
ブラジル連邦立マット・グロッソ大学大学院教育研究科博士課程
1959年福岡県生まれ.高校中退と同時に宗教的啓示や深い内省に根ざした動機に突き動かされることもなく出家(家出ともいう).直後に大検合格.その後,ウォーター・ビジネス,ディスコのDJ,ヘビメタバンド,花屋店員,運送屋助手等をへて,世界が単純明快だった古き良き8ビット時代のプログラマとして平穏な余生を送ろうとしていたところ,ある日ふと魔がさして読んだフロムとウェーバーによる二重の呪縛から逃れられずに,近所の北九州大学に通いはじめ,組織論にはまってしまう.その後,幸か不幸か,いまはなき某大手証券会社の執拗な内定拘束を振りきって,筑波大学大学院修士課程経営政策科学研究科に駆け込む.鬼のような指導教官による地獄の特訓が待ち受けているとも知らずに.真冬の寒い明け方,F棟端末室の窓の外に目をやり,ここから身を投げてしまえば楽になれるかもしれないという誘惑と何度も何度も闘いながら,多変量解析に明け暮れる毎日を送っていた.ちなみに端末室は1階である.
政策システムをだらだらと分析しながら過ごした幸せな2年間の修士生活は,瞬く間に終わりを告げ,国際協力事業団長期派遣専門家として高等教育開発プロジェクトに3年間派遣されて,スハルト独裁下のインドネシアで血税を湯水のように浪費する生活に身を落とす.このとき華人や東チモール人と仲良しになり,日本の対外援助がめぐりめぐって彼らマイノリティに対する抑圧装置として働いていることに悄然としながら,東チモール解放運動を陰でこそこそと手伝い始めたりした.帰国後は民間のシンクタンクや援助関係の財団で政策分析の渡り職人として働き,年季が明けた95年,柳行李(うそ)を担いでブラジルに渡航.陽気なサンバのリズムと徹底した個人主義の国で,開発地域における教育政策の現状と形成過程を分析すべく,最果ての地マット・グロッソをめざして,なぜかD4に至る.困った.
居留地から研究室までの道のりは,長く険しい.ワニと競争しながら河を渡り,祖父の形見の日本刀でジャングルを切り開きながら道なき道を進まねばならない.途中,未接触先住部族に出会いスープにされかかったりするが,いつも酋長の娘さんが機転を利かせて助けてくれる.しかし,手を取り合って逃げる道中,娘さんに恋心を抱く部族の若者とジャングルで死闘を繰り広げ,いつしかライバル同士の友情が芽生えたりする.研究棟の入り口で日本に残した妻の顔を思い浮かべ,何度も何度も振り返って手を振りながらジャングルに消えていく娘さんと若者の手をつないだ後ろ姿を暖かいまなざしで見送りながら,研究室へと通う毎日である.というのはうそ.けっこう都会である.野良馬がいたりもするけれど.
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