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世界の四大文明の発祥地が全て河川沿いだったことからもわかるように、河川流域の肥沃な大地に早くから人々が棲みつき、そこに高度な文明が発生した。規模の大小はあるものの、荒川流域も早くから開発され、仏教など当時の先進文化を受け入れる素地を作った。しかしながら、河川改修される以前の川は度々洪水を引き起こし、それはまさに「あばれ川」であり、「荒ぶる川」荒川の名をほしいままにしていたといえる。この利点と欠点をあわせ持つ「荒川」と人々はどう付き合い、そしてどう向かっていったのか。大久保地域【地図】にスポットをあてて検証する。 |

治水橋から荒川上流をみる 【地図】 |
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も く じ |
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暫定公開中 |
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凡 例 |
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[1] この【大久保ものがたりWEB】の「展示室 on the net」は、さいたま市立浦和博物館において平成16年(2004)3月20日から5月9日にかけておこなわれた企画展「大久保ものがたり−荒川との共存−」の図録(展示解説書)にかわるものである。 |
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[2] 制作は、「大久保プロジェクト」(さいたま市立浦和博物館と埼玉大学による【地域←→博物館】連携プロジェクト)の一環としておこなっている。本文の執筆は、さいたま市教育委員会文化財保護課野尻 靖学芸員が担当し、WEB制作は埼玉大学「大久保プロジェクト」がおこなった。 |
[3] 従来、印刷物として刊行されてきた図録をWEB上で展開することに際しては、さいたま市教育委員会のご承諾をいただいた。 |