このプロジェクトに関する議論をここに掲載します。
The evolution of inclusion/exclusion mechanisms in social dilemma situations
(by 高木英至 2002/07/23)


 ここに載せたモノは1つ下の欄の記載の英語版です(この文章は日本語ですが)。2002年7月前半にISAで同じネタを報告に使いました。その折のペーパとプレゼン用のファイルをここで閲覧できるようにしました。下の欄の記載に比して、プログラムを少し手直しし、シミュレーションはやり直しました。若干の追加分析を加えました。結論も少し変わりましたが、本質的には同じです。
 ISAがあったのはオーストラリアの Brisbane で、Koala Sanctuary には北大T氏とも行ってまいりました。
draft (html)        ⇒  
draft(download)     ⇒  
PowerPoint File(html) ⇒  

 なお、私が行った session については私のサイトの掲示板で書いておきました。ちょっとヤバイことも書いてあるかも。


協力呼びかけのシミュレーション:安心は信頼を低下させる

(by 高木英至 2002/04/03)

 2001年度は行政的な仕事(雑用と人は言う)で大変でした。私が委員長をしている所属部局の将来計画委員会で学部改組案をまとめていました。その暫定案が3月の教授会で通りましたので、一仕事したかなぁ、という感じで、一瞬の余裕ができました。月末になると「まだまだ」という事態が起きたので、余裕も吹き飛びましたが。まあ、その一瞬の余裕の間にプログラムを書いて実施してみたシミュレーション結果がこの話です。
 他者に協力を呼びかけあう、しかし違反もできる、というディレンマ状況を前提に、選択的受入れ(selective inclusion)メカニズムがディレンマを解消するか? という点がテーマです。暫定的な、しかも大雑把な結論だけを書けば次のようになります。

1.selective inclusion 戦略は安定的に進化してディレンマを解決できる。
2.違反への誘因が低い状況(安心状況)では、trust、つまり未知の相手に推定するデフォールトの(知覚された)協力率は低くなる。

 短いペーパにまとめてみました。まだちゃんと分析できた訳ではありません。が、この段階でも何らかの示唆を頂ければ幸いです。

ペーパ(html での表示)        ⇒ 
ペーパの原稿(自己解凍ファイル) ⇒ 


「社会的事実」はなぜ存在できるのか?
(by 高木英至 @人間行動進化研究会[東大・駒場]、2001/12/14 「講演」)



 滅多にない「講演依頼」があったので、話して来ました。ネタは別に新しい話ではありません。が、今回は「社会的事実」という言葉を使って議論をまとめてみました。時間内に話が終わるように中身を調整する時間がなかったので、途中で話を端折ることになりました(トホホ)。
報告に使ったプレゼンテーション ⇒ 

 覚えている限りで次のような質疑がありました(他にあった質問はシミュレーション結果の理由の説明などです)。

1.Q:動物行動の研究では数理モデルやシミュレーションモデルを用い、その結果からさらに経験的研究に入る、というパタンが見られる。人間を対象にするするあなたのような研究でも、同じようなことはあるのか?
A(高木):偶々私は現実に興味はないけれど、そうすべきだろう。例えば一定の条件で利他性が発生するとすれば、似たような条件が揃うホームレスのような社会で利他性が見られるかどうかを考えたこともある。詳しい人に尋ねたところ、現代のそのような社会では自分で貯金をしてしまうので、利他的なサークルは見られない、と言われて、私はそれ以上は考えていない。今後の課題だと思う。

2.Q(山岸先生@北大):進化的均衡として(均衡状態での戦略の布置として)社会的事実を考えるというあなた考えからすると、社会学者は「規範」を特別に考える必要がなくなる、ということになるのではないか?
A(高木):規範は進化的均衡として考えられると思っている。ただし均衡した戦略は「逸脱に対してサンクションをかける」と規定する戦略であるときが、正確に言えば「規範」にあたるだろう。
[この件については後のポスターセッションの時間中に、山岸・高橋氏@北大と引き続き話す。山岸先生は「特に規範などは考える必要はない」と言ってよいかどうかを考慮中である、とのことだった。]

3.Q(長谷川真理子先生):(進化ゲームの「進化」と実際の進化の関係を?と私がしたことに対して)合理的選択(効用最大化)の行動理論なども、進化の過程の中から出てきたと考えることが重要だ。
A(高木):その通りと思う。私が「?」と書いたのは、進化ゲームの均衡は実質的に静的均衡と同じで、いったん均衡があるとなったらそこから抜け出す論理は環境の変化に求めるしかないことである。実際の進化はそのようなもの(静的な均衡)ではないように思う。そこで、モデル上の進化的均衡と実際の進化の関係が、私にはまだ分からない。
(かみ合わないやりとりだった。私は説明の形式に関心があったけれど、長谷川先生は説明対象の実態への認識を問題にしたようだった。)

  基礎社会は秩序を自動生成する
   (by 高木英至 @第1回研究会(2001/11/01)、2001/11/04 記載)


 2001/11/01 に阿部、佐藤、高木のみで第1回研究会を開きました。この研究会は高木の基本的な考え方を述べたものです。他の参加者の方は「ああ、あれか」と分かるような話です。
 高木の報告で用いたプレゼンテーションのファイルは、実は 1998 年に京阪奈のATR研究所の複雑適応系ワークショップ(98/09/25)で使ったプレゼンを元にしています(時間がなくて・・・)。そういえば,私高木が野村竜也氏にお会いしたのはその折でした。
 ここで議論したいポイントは次です。

1.人間社会には内部で(内集団)利他性が成り立つ社会圏、つまり基礎社会が emerge する。
2.基礎社会ではこの内集団利他性を基礎に、その基本的な秩序を自動生成するだろう。


 以上の考えは証明された訳ではありません。が、高木のアイディアのコアの部分です。

 プレゼンテーション  →  

[2001/11/01 では議論が尽くせなかったので、2001/12/04 の第2回の研究会(see 活動記録)で続きの議論をしました。]
 
  社会的交換に基づく権力の発生
  
(by 高木英至 2001/10/12)

 権力(Social Power)の発生はこのところの私高木の研究テーマである、ということになっている。実際、(僅かな)科研費をもらってこの点について研究している建前になっている。とは言ってもこのところの妙な(行政上の)忙しさで、ろくに研究していないのが実情、というのは余計な話か?
 まあともかく、権力の存在は普遍的な社会秩序である。ではなぜ権力は存在できるのか? そりゃ、強い奴がいるのは仕方ないわな、と言われてしまうとどうしよう。とは言ってはいられない。権力というのは在るのが当り前とわれわれは思っている。けれども、そうは考えるべきではないだろう。例えばミジンコの社会?に権力なんてあるのか? 人間(に近い種)の社会の特徴は、直接的な身体的強さを介さずに権力がほとんど必ずあることではないか。
 中国皇帝のような巨大権力を考えると話が複雑になっていけない。非常に要素的な状況を考えよう。たぶん、狩猟採集社会でも要素的な権力は随所にあったろうし、われわれの職場や学校でも同じようなことが起こっているに相違ない。
 私のアイディアは次の点。人、いやエージェントは労働力の供与という形でいろんな社会的交換をするだろう。ここで、この社会的交換に成功したエージェントは多くの人の協力が得られるから、他者に罰を与えるような潜在能力が上がるだろう。とすれば、社会的交換の成功者は、協力を得ているという事実によって「権力者」に転化する、そして最終的には自らは協力を与えずに協力を得る(権力を行使する)ことができる、ということがあるだろう。
 上記のアイディアは1999年に一度、シミュレーションとして試したことがある。が、難点もあった。難点はすべて解決した訳ではないけれど、その後に試みたモデルによるシミュレーション結果は以下である。

   2001年日本社会心理学会大会報告→
      同プレゼンテーション       → 
 

 社会的交換の「等量性」について
  (by 高木英至 2001/09/23)


 以前、限定交換(2者間の閉じた交換)のシミュレーションをしたとき、私はエージェント間の財の量を固定して考えた。自己の保有する資源からエージェントがどの程度を交換に使うかは戦略/状況によって可変的である。けれども、1人の相手に与える財の量はある1つの値であると決めてかかった。その折に今後の課題だと感じたのは、限定交換でやり取りする財の量が等量になるという傾向はどのように導いたらよいか、という点だった。実際、互酬規範(the norm of reciprocity)はやり取りする財の量が等量に向かうことを前提にしていると思う。
 この点に関して、与える財の量が可変的であるようなシミュレーションを今年の6月頃に考えたけれど、そのままになってしまった。その後、今年のグルダイの報告をそのネタでやるつもりだった。が、雑用が多くて、グルダイの報告も流してしまった。10月のS&G学会大会の報告原稿の期限は最近であり、何とか報告原稿を滑り込ませた。
 シミュレーション結果の含意は次のようなものである。

 エージェント間では交換する財に関する基準を同じくする「文化」が出来上がる。同じ社会で複数の「文化」が生じる傾向があったが、社会的交換は「文化」を同じくするエージェント間で生じやすかった(その結果、等量交換が支配的になった)。

 もし興味があれば:S&G学会報告の原稿は、次をクリック → 
(あんまり詳しく書いていないので恐縮ですけど。)
 S&G学会報告プレゼンテーション(2001/10/18 追加)   → 

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